新川というのは日本橋の地名で、墨田川の河口に面する中州地帯だ。茅場町と八丁堀のあたりといえばわかるだろうか。実は民間シンクタンクに勤めたあと、青果流通のベンチャー企業に転職した際に通ったビルが、この新川にあった。それも、昭和世代なら誰もが知っている、あの旧・山一証券ビルのすぐ横のビル。永代橋をわたるすぐ前の位置である。茅場町から八丁堀界隈の飲食店には嫌と言うほどに通ったものだ。
だから、地下鉄東西線の茅場町駅を降りて、地上へ出た途端に、なんともいえない感慨が拡がった。
吉野家の看板があった先に、バナナを大房で売っている店があったなあ。そしてこの交差点の対角に、伝説の地酒居酒屋である「五穀家」があった。そこは、いま錦糸町にコの字カウンター地酒居酒屋である「井のなか」を営む工藤ちゃんが店長を務めていて、100席近くの大箱店だったのに、客の料理に合わせて温度の違うお燗をつけるという荒技をやっていた。あの頃は工藤ちゃんの顔を見に通いまくっていたなあ。
がんぎそばもよく食べた。なんか、昔は麺の切り口が四角だった気がするのだけど、現在パスタマシンを製麺で使っていて、麺の断面が丸いんだよね。と店の人に言ったところ「うちは昔からこうですよ」といぶかしげな顔をしていたのだけど、そうだっけ!? 昔は四角い断面だったという記憶ある人いたら教えて下さい。俺の記憶、あてになるかならんかわからなくなってきてます。
さて、永代橋に向かう道を一本小脇に入ると、ああ、この物件かあ、そうかそうか。
そう、新川デリーがここに店を再開してくれたのだ!
知らない人のために言っておくと、日本のインドカレー老舗として有名な湯島デリー、銀座デリー、アトリエデリーの、いわゆるデリーグループに長年務めた人は、のれん分けを許されてこのデリーの看板で営業することができる。新川デリーの浅野さんは、ながらくデリーグループで働いていた人なのだ。
新川の八丁堀よりに店を構えた新川デリー、通いましたねえ、、、(笑) コルマのおいしさはちょっとだけ本店と風合いが違ってて、それもまたよかった。
それが、入っていた小さなビルの都合で立ち退きになってしまったのが昨年後半のこと。いや、心配しましたねえ、、、
それが、ここに再開できたのだ。うれしい! 何がうれしいって、前の場所よりアクセスしやすいですよ(笑)
「あ~ やまけんさん、ありがとうございます、いらっしゃい~!」
と、変わらぬ浅野さん。いやまじでうれしいです! ちょっと雛形あきこを彷彿とさせる奥様(美人!)もご健在!
そして、、、
マジうれしいのがこれ!
コロナ禍で一時、タマネギとキュウリのアチャール類は、ちょびっとずつ店で盛りつけてくれるようなサービスとなっていた。でもね、このアチャールをおれはワシワシ食べてしまうのですよ、、、なので、こうやって自由にとれるようになって死ぬほどうれしい。
この日は食べ盛りの若者を連れていたので、まずはトマトサラダ。これ、頼んだことない人はだまされたと思って頼んでみてください。ほんとうに美味しいです。トマトのサラダは、ドレッシングにお浸し状態に漬けておかないとダメです。ここの新川デリーのトマトサラダと、門前仲町のラーメン「晴弘」のトマトとシュンギクのサラダは、どちらもドレッシングにお浸しにしてあるので、トマトの細胞内にしみしみに味が染みているのだよ。
さあそして、、、
わたしの定番、コルマのホット(辛口という意味です)。
いいなあ、いいなあ、本当に浅野さんのコルマが帰ってきた!
でも、この日はその前に、、、ラムキーマも!
このラムキーマがねえ、本当においしいんですよ。ツレが居る時は、ご飯抜きの単品でこいつを頼むとよいのです。シアワセになれます。
ラムキーマの何が旨いって、あの羊臭さが、スパイスと合わさるとよい香りに昇華されておいしくなっちゃうんだよね。
と、ラムキーマを味わってから、おもむろにコルマなのです。
もうね、言葉は要らない。日本最高峰のカレーのひとつはこれだろう。
あと、白いご飯が相変わらず旨い。硬めでビシッと形が決まったライスで食べるのが最高なのだ。俺は玄米とか雑穀米で食べたくないんだ。バスマティもダメだ。コルマカレーには日本の米の白ご飯なんだよぉ!
ここからは写真ありませ~ん。一気呵成にいただきました。なお、むかしは自由にかけられたチーズは、注文制になりました。そりゃそうだよ、いま高いんだから!
茅場町の名所・新川デリーがこれからも発展することを祈ります! 浅野さん、おめでとうございました!