僕の食い倒れの世界での親友にして、弟分の宮田武虎が逝ってしまった。
さる7月28日、高知県で土佐あかうしの仕事で現地を廻っていた昼、武虎に近しい人から電話で伝えられたとき、「え!?」と混乱し、わけがわからなくなってしまった。それは現実なのか、、、と。昼ごはんを食べながらも、頭の中はそのことが行きつ戻りつ。公務を終えて帰途につく飛行機内で、あいつはもういないのか、、、と悲しみの実感が沸いてきた。
その後、通夜が29日にあり、17時からが家族・親族の時間で、18時から一般の弔問が受け付けられると聞き、悩む。じつはこの日の午後だけ予定を開けることができるが、その翌日は東京にいなければならない。つまり午後の一便で宮崎へ入り、最終便で帰るということ。ただしコロナ禍で減便になっているため、最終便の時刻も早まっているので、一般客の時間では帰れない。武虎のパートナーだったりえちゃんに連絡をとったところ、娘のまいちゃんに連絡してくれて、家族・親族の時間に入れていただけることとなった。
武虎と初めて会ったのは、2008年2月。宮崎県農業会議での仕事の夜、アジアネットの田中さんや、なぜか鹿児島からスーパー獣医師の松本大策さん、武虎の前にはこれまた弟分の沼口あきのりもいる。今から思えば贅沢な顔ぶれだ。
実はこの時、会場となった店の違う席に、りえちゃんと娘のまいちゃんも居て、挨拶をしてくれた。武虎は僕のブログのファンで、当時小学生だったまいちゃんには夫婦で「やまけんさんてすごいんだよ!」と吹き込んでくれていたせいか、まいちゃんは芸能人をみるかのように僕にサインをねだってくれた。
次に宮崎に足を運んだタイミングで、彼らが営むフーデリーへ行って、心の底から驚いた。
店の中には契約生産の野菜や肉類、契約輸入のワインやシャンパーニュのマグナムボトルがどかどか並び、国産大豆でつくりたての豆腐を出す工房があり、惣菜コーナーには「全部食べたい!」と思うようなハイグレードな弁当・惣菜が並んでいる。
「やまけんさん、いやアニキ! お好きな商品をどれでも試食して下さい!」
と言われ、暴力的に食べたこのエントリの日のことは忘れられない。
■こんなスーパーがあったのか! 宮崎県が誇ってよい、エシカルに素晴らしき品揃えを誇るスーパー「フーデリー」と宮田武虎君の果てしなき食欲!
https://www.yamaken.org/mt/kuidaore/archives/2009/12/1807.html
それにしても、どうにも俺の好みに合ってるな、、、と思ったらなんと「いやいや、アニキのブログに載ったものは片っ端から仕入れてますし、惣菜部に命じて「これを弁当で創れ!」って言ってますから。お好みにあってるのは当然です(笑)」という。
そうしてフーデリーは僕にとっても夢の場所となったわけだ。
それにしても、その堂々たる体躯とはうらはらに武虎はシャイな男だった。というより、若干コミュ障なんじゃないか!?と思うくらいに気の弱いところもあるヤツだった。
「アニキ、●●の産地を紹介していただけませんか?一緒に行きたいです!」
というので、産地の販売担当さんにアポを取って一緒に行っているのに、引き合わせても顔をほとんど上げず、僕ばかりが話をしている。武虎に話を振っても、僕の方をみて話しをする。おいおい、お前さんがしゃべる相手は向こうさんだろ!? なんかスマホいじってるなーと思ったら、あとでTwitterを見たら「●●の産地に来ている。すっげー嬉しい」みたいなことをツイートしてる! そんな暇があるならお前、、、 ということがよくあった。ホント、人見知りで恥ずかしがり屋なんです。
そんな武虎が僕を「アニキ」と呼んでくれたことは本当に嬉しかった。妻いわく「武虎さんが心を許してる数少ないうちの一人がケンちゃんなんだね」と。本当にそうであったなら嬉しいことだ。
武虎と共に過ごしたなかで、最も印象に残っているのが、日本ドライエイジングビーフ普及協会のNY視察ツアーで2011年、2012年にNYを巡ったときのことだ。フリータイムを利用して、僕らはジュイーイッシュフードのデリカテッセンとして名高いカッツ・デリカテッセンへ行った。
そう、いまをときめく青山 The Burnの米澤文雄シェフもここにインスパイアされたという、パストラミビーフサンドを名物とする店だ。
これを、こんなに旨そうに食べるヤツが他にいるだろうか。
かぶりつく、という日本語のお手本がここにある。
武虎との日々を思い出すとき、最もあたまに浮かぶのがこのシーンなのだ。いつもは内気な武虎が、iPhoneを片手にGoogleマップをみながらどんどんNYを歩き回り、「ここによさげなピクルス屋さんがあるみたいですよ、行ってみましょう!」とガンガン積極的に進めるのだ。多重人格かよ、と思いつつ、食に関する貪欲な好奇心が、ほんらいの武虎イズムなんだなと実感したのだ。
そんな武虎が、こんなにもはやく逝ってしまうと思っていなかったので、サプライズを用意していたのに届かなかったのだ。
あのグルメ雑誌dancyuの9月号「すごいぞ!スーパーマーケット」特集を読まれただろうか。
編集部から「よいスーパーがあれば教えて下さい」というアンケートが来たとき、僕はもう一択でフーデリーのことを書いた。コロナの状況もあって取材記事にはならなかったけど、84Pに宮崎県のところに僕の紹介コメントが掲載されている。
掲載されてから「見てみろよ~、あのdancyuにフーデリーが載ったぞ!」と連絡をするつもりだったのだが、間に合わなかった。それだけが心残りだ。
さて、武虎を送る通夜の日だ。空港から友人のイナバさんのレンタカーですぐに斎場へ向かった。受付で「親族ではないんですが、、、」ともたもたしていたら、向こうから「あっ」と走ってきてくれた女性をみて驚いた。
まいちゃんだ。武虎が心の底から愛した娘のまいちゃんは、とても素敵な大人の女性となっていた。僕も何も言えず二人で泣いてしまった。棺も到着していなかった状況だが、武虎の写真を前に、しばらくこんなに泣いたことはないというくらいに大泣きした。
ほんとうに、早すぎるよ。もっといろんなおいしいものを一緒に食べるはずだったじゃん。
このコロナ禍のなかで、多くの人達が、静かに逝ってしまう。ゆっくりとお別れも出来ない状況で、本当に辛い。そんな中、武虎の顔を見て、見送ることが出来たのは不幸中の幸いだったかもしれない。
お前の分も、俺が食べとくからな。もうしばらく先にはなるけど、天国のグルメ案内はお前がしろよな。
武虎、お前がいなくて、本当にさびしい。