さて、新保さん率いるサカエヤの熟成庫の話しをしよう。
7~8年ほど前にドライエイジングブームが来たとき、ドライエイジドビーフをつくるためには「温度・湿度・気流」が大切だとよく言われたのを鵜呑みにして、多くの飲食店が自前の冷蔵庫で熟成にチャレンジした。しかし、普通の業務用冷蔵庫の送風口近くに、真空パックをむいた肉を置いただけというところが多かった。こういう場合、熟成はほぼ上手くいくはずがなく、腐敗に近い状態になっている肉の表面を削って「美味しくなってると思います」と出すケースがとても多かった。
いまではそうした店はだいぶ淘汰された。エイジドビーフをつくるにはそれなりの設備と容積が必要で、けっきょくは卸や精肉店といったところがやる方が、リスク回避的にもコスト的にもよいということがわかってきたからだ。
サカエヤ新保さんの肉に対する考え方は直線的なものではなく、「その肉にあった手当をする」ということがベースとなる。つまりなにがなんでも長期熟成、ドライエイジングという考え方では、まったくない。
「例えばね、僕が美味しいと思う近江牛で、サシがほどよく入っているものは、そんなに熟成香がいらなかったりするんですよ。だから短期間しかねかせなかったり、なかには真空パックしてねかせたりするものだってあります。」
一方で、肉のもつポテンシャルを引き出すために時間をかけて熟成するものもある。また、微生物の力を借りて風味を出す必要のあるものも。そうした手当を行うための熟成庫を見せてもらう。
レンガ造りの庫内には、ハードなエイジングを行う業者さんの熟成庫と違って、それほど強い送風はされていない。骨付きロースを中心に並んでいる肉には、特有の白いカビがモッサモッサと生えていた。
エイジドビーフを作るさいに、この白いカビが作用しているのではないかということがずっと議論されてきている。カビの種類もだいたい特定されていて、このカビを胞子状態で分離し、熟成庫内の状況によって散布して状態を安定させることもされている。ただ、この辺は微妙な話しでもあって、拙著「熟成肉バイブル」でもわかる人にしかわからない書き方をしている。
そういえば、「熟成肉バイブル」にはサカエヤは登場しない。なんで?と思う方もいるかもしれないが、単にページ数の問題です。ほんとうは書きたかった、、、という気持が、一年後の「週刊現代」のサカエヤ特集記事に繋がるわけです。
■「週刊現代」今週号の巻頭カラー9Pに滋賀県草津市「肉 サカエヤ」の記事を撮影&文章でドドーンと載ってます!鹿児島県産黒毛経産牛のドライエイジングの炭火焼きステーキの写真は快心のできばえなので、ぜひお買い求め下さい!
https://www.yamaken.org/mt/kuidaore/archives/2018/04/29594.html
で、サカエヤ新保さんの熟成方式は、とても、とても面白いものなのだ。
先のエントリでも書いた、僕にエイジドビーフを送ってきてくれたとき、熟成方式について質問をすると、新保さんは言葉を濁していた。
「いろんな微生物を試してもいるんだけど、じつは僕の店舗では昔から、ちょっとしたやり方で熟成をしてきていて、、、」
僕の経験上、この「昔からやってきた熟成」という話しがくせ者。本当にむかしながらの日本型熟成方式である「枯らし」「吊るし」をやってきた場合もあるが、多くはそうした方式を早いうちにやめ、真空パックでのウェット熟成に切り替えてしまった店が多い。そうした店が熟成肉ブームであわてて「昔ながらの方式」といってドライ環境での熟成にチャレンジするケースが多いのだけれども、多くは失敗する。僕も何度もそうしたなんちゃって熟成肉を食べさせられて、まずい思いを味わってきている。
新保さんもそれか?と一瞬疑ったが、肉を食べてみたらすばらしく美味しい。ただしきドライエイジングの特徴もちゃんと発現している。「ちょっとした、昔のやり方」ってなんなんだろう、とずーっと思っていたのだ。それが、この訪問の時に明かされた。このときは「まだあまり人には見せてないんですけど、、、」といっていたが、すでに雑誌取材などでも登場しているので、公開OKとなったのだろう。テレビ番組でどう紹介されるのか楽しみだが、、、
「いや実はね、、、ご神体、ご神木みたいなのがあるんですよ。」
ん?上の写真の右側のもの、なんですか?
庫内に吊り下げられた白い物体。この形は、もしや、、、
「ん、これ、いつのだかようわからんのですけど、一頭分の牛の枝肉をずーっとそのまま置いといたやつなんです。もう水分も抜けて、カチンカチンなんですけどね」
たしかにコンコンと乾燥した音。
「でもね、これが微生物のよりしろになっているみたいで、この近くにある肉にすぐカビがついていきます。あとは、水分調整をこいつがしてくれているみたいなんですよね。なんにしても、これがあることで熟成が上手くいくんです。」
なんと、えらいご神体である!
「もう完全に水分も抜けてるから、一人で抱えることもできるくらいです。」
と、了平くんが持って出てくれる。
ほれこの通り!
こんなこと、もうおそらくできないだろう。というのも、20年前ならいざしらず、いま和牛の枝肉一本の単価はむちゃくちゃに高価。それを売らずに、完全に水分が抜けるほど枯らせるだけ、なんてこと、よほどお金が余っている業者にしかできない。
それにしても、面白いことに、たしかにご神体がある近くの肉にカビが優先的に生えているようにみえる。
なるほど、、、この熟成庫を見せてもらって、新保さんはほんとうに昔から自分なりの熟成をつきつめてきた歴史を持つ人なのだと再認識をした。やはり関西の牛肉文化は深い、と実感してしまったのである。
こうした肉を、それぞれに合った期間と方法で熟成し、捌いていく。
あ、ちなみにこの日はお店の休日。特別に、翌日のための仕込みをみせていただいた。
ここ数年で数々の精肉業者さんのさばきをみせてもらったけれども、上手い人はほんとうにスススッとどこに力が入っているかわからないような感じでスイスイ捌いていく。新保さんは紛れもなくそれだ。なんなら鼻歌を歌いながらという感じ。
新保さんの動きに合わせてスッとサポートに入る了平くん。あうんの呼吸だね。
面白かったのは、薄切り肉の作り方。
「日本の肉屋に大切なのはね、薄切り肉のつくりかたです。薄切り肉ってね、ひとつの部位でつくるものじゃないんですよ。サシのある部位と、味のある部位を組み合わせてスライスすると、柔らかさと味が両方よい薄切り肉商品を作れます。」
「ただ、それを上手に作るには、肉の向きをどうするか、スライサーにどう噛ませていくかなどの技が必要です。肉の線維の方向が違うだけで、お客さんは硬いと感じちゃうんです。」
「だから、僕は薄切り肉という商品をいかに作れるようになるかが、いい肉屋になれるかどうかの分かれ目だと思ってるんですよ」
といいつつスイスイとスライスした肉を美味しそうにたたみ、商品にしていく新保さんの手さばきは、魔法のように見事なものだった!
だってこれ、もうすき焼きにして食べたくなるでしょ、このお肉!
また、牛肉にはどうしても不人気部位というのが出てきてしまう。
新保さんが持ってるのはカッパかな?
こうした部位も、熟成庫に入れてねかせることで、美味しく食べられるようになるという。
そして、これらは店頭売りではなく、新保さんの技に惚れた飲食店に個別に提案していく。こうした、普通の精肉としては使いにくい部位も、新保さんは色んな方法で商品化していく能力があるのだ。
いま、精肉店と呼ばれる業態のなかでも、一頭分を仕入れるのではなく、卸からパーツで買い求めるところが多くなっているそうだ。そうなると、すでに分割され真空パックをした状態で納品されるので、そうした不人気部位を回避することはできる。売りやすい部位だけをつまみ食いするということだ。
ただし不人気部位を避けると、その分のコストも乗った形で部分肉を買うことになる。能力のある肉屋さんは、枝肉をまるっと引き受け、不人気部位も売り切ることで利益を得ることができる。サカエヤはそうした、昔ながらのスタイルを続ける精肉店なのだ。
「あ、そうだ、僕がよくやる”手当”をお見せしますね」
と新保さんがとりだしたのは、細かなサシの入った近江牛の小さな塊。ここまで切り出してしまっていると、熟成させていくと表面の酸化が進み、可食部分も減ってしまうだろう。
と、新保さんが白い塊を持って来て、うすく切り出し、肉にペタペタと貼っていく。
これ、メス牛の乳房の部分の脂だ。
まんべんなく包んでいって、、、
たこ糸で縛る。
「僕がまだ若い下っ端の頃からね、こうやると肉が傷まず、ねかせることができるって教えられてきました。」
いや、実に興味深いねぇ!
肉の熟成はドライエイジングか真空パックかの二元論では、まったくない。その間に、まだまだ細分化された熟成方法が存在しているのだ。
サカエヤの店頭では、こうやって「手当」された肉がズラリと並ぶ。
みていると片っ端から買っていきたくなってしまう。南草津がもすこし東京に近かったらなあ、と何度も思ってしまう。
さて、このサカエヤにはレストランが併設されており、そこで店に並ぶ肉を食べることができる!次回、その話しをしてNHK「プロフェッショナル」の事前学習を終えよう。