この記事を公開してから2日間でリツイート等がスゴいことになっている。菊地さんから「最近の写真をお送りするので、お好きなように使ってください。写真の権利保持者にも承諾をいただいていますので」との連絡が来たので、公開させていただく。まずは店に貼られているこの紙。
「寿命が来た」というのは菊地さんのご体調のことではないので、ご安心を(笑)
そして最近の、港屋の行列の模様だ。
最後の1枚は、この記事末尾に加えさせていただく。菊地さんの現在の心境を物語った1枚だ。ではここからはオリジナル記事を。
タイトルがすべてだ。虎ノ門から愛宕方面に下ったところにある、モノリスのようなビルの中に展開されていたあの不思議ワールド、肉そばというジャンルを生み出した「港屋」が2月1日をもってクローズした。
これは店主である菊地剛志さんご本人に確認したので、閉店は確かなことだ。しかも、移転の話しもない。つまり、西新橋の「港屋」は完全に幕を引いたのだ。
Twitter上でクック井上さんが書いていた記事で僕も識ったのだが、どうやら星のや東京に入っている、通称「港屋2」はまだ営業しているらしい。おそらくこちらはライセンス店なので継続するのだろう。
ただ、元祖肉そばの港屋はなくなる、というよりなくなってしまった。
いつも通りの商いをして、特別な告知をすることなく幕を引くというのが菊地さんの決めた閉店の仕方だったそうだ。スタッフと納入業者にしか知らせていないらしい。彼を知る人なら「最後まで菊地さんらしいな」と納得するだろう。
気になるのは、菊地さんの次のステップだ。肉そば店をどこかでまた始めるというのはどうやらなさそうだ。でも、何か新しいことを考えているらしい。それが飲食店であることを祈っている。
いま、「肉そば」と称して、麺に牛肉と海苔、ゴマをのせ、つゆにラー油を入れたもので食べさせるフォーマットが広まっている。そのフォーマットの元祖の存在を知らない人もいるかもしれないが、その元祖こそが港屋である。これは歴史上揺らぐことのない事実だ。
ちなみにその菊地さんは模倣店をまったく認めていなかった。それも当然だと思う。というのも、麺業界専門誌である「そばうどん2014」でつっこんだ取材をした際、「リスペクト店」を廻ったのだが、どの店も菊地さんが生み出したフォーマットからまったく逸脱していなかった。野菜を乗せたり、具材オプションを増やしたりしてはいたものの、基本的な部分は変わらない。
いや、変えようがないのだ。肉そばは完全なバランスの上にたった創作料理なのだ。それほどに、あの肉そばフォーマットは完璧なものだったのだ。
模倣店を廻ったときに、「うちのはおそらく港屋より旨いです」と言いきる店主さんがいた。ふうん、と思ったのだが、でもあなたはなにも発明はしていないよ、と心の中で思った。
ゼロから肉そばという料理を発明したのは菊地さんだ。それをブラッシュアップしたり一部改変をすることは、後追いでどうにでもできる。オリジネーターと後追いでは、まったくその価値は違う。菊地さんが産みだした価値を模倣してあなたたちは商いができているのだ。口が裂けてもそんなことを言うべきではない、言える立場にあなたはいないと僕は感じたのである。
そしてその終幕も完璧なものであった。元祖肉そばである港屋はその歴史に幕を閉じた。ここ最近は、あのモノリス様のビルを取り巻く行列の長さにつくことができずご無沙汰してしまったが、いちばん肉そばが熱かったあの黎明の時期に通い、菊地さんと通じることができたことを光栄に思う。
あー でもまた食べたかったなぁ。
菊地さん、いままでお疲れ様でした。次のチャレンジを楽しみにしています!
最後に、菊地さんから「使ってください」と送られてきた、象徴的な写真を。
「肉そばの現物の写真では無く、私の想いがあり、丼のみにしております。」
「肉そば」という、そば界の新ジャンルを生み出した菊地さんは、この分野でやるべきことを全てやり終えたのだ。その思いがここに込められているのがよくわかる一枚ではないか。
あらためて、肉そばという、熱狂的なジャンルを創り出してくれた菊地さんにお礼を言いたい。菊地さんありがとう、港屋の肉そばは最高でしたよ!わたしたちは肉そばを生み出したのがあなただと言うことを忘れません。