僕がなぜ、長期戦になっている(笑)トルコ編を書いているか。それはトルコという国が日本にとって大事な友好国だからだ。しかもその友好の中身は経済的な利害関係ではなく、純粋に日本に対する善意であるということを、一度でもトルコに行った人間ならわかるはずだ。
いったいなぜか? それはトルコ人が、日本から昔受けた恩を忘れていないからだ。
100年ほど前、オスマン帝国の時代に、日本に親善のために訪れた軍艦エルトゥールル号が、帰国の際に和歌山沖で座礁し、沈没の自体と生った。600人もの使節団のほとんどが荒波の中で命を落とす中、和歌山県の大島村(当時)の村民が命がけで救助にあたる。何日も捜索を続け、最終的に69名を救助し、物資欠乏の中、貴重な白米や鶏まで潰して船員たちに食べさせ、懸命の介護をした。
この事態が報道されるやいなや、日本中で義捐金を募る運動が各地で自然発生し、現在の貨幣価値で1億円に上る義捐金が集まった。
明治天皇はこの事態に深い哀悼の意を表し、生き残った船員を母国に送ることとする。それも、当時精鋭の軍艦二隻(事故があった場合に備えて二隻としたという)を派遣することを決めた。まだ正式な国交が樹立していないのに、である。
船員と義捐金をトルコに届けたところ、トルコは国を挙げてこれを歓待した。実はトルコに行くまでにもドラマがあったのだが、それはこの誌面で読んで下さい。以降、トルコでは小学生が読む教科書にこのことが掲載されているという。だから、トルコの人達は日本に対して感謝の心を持っている。
そして、イラン・イラク戦争の時、フセインがテヘラン上空を航行する航空機は、無差別に攻撃する旨を宣告したとき、この友情が、取り残された日本人を救うことになる。頼みのつなの日本の航空会社からは、危険を理由に救援が来ない!自衛隊の派遣も法的に×となる。この絶体絶命の事態に動いてくれたのは、、、トルコだったのだ。
という、感動のストーリーが『歴史街道』で詳しく語られている。しかも、当時の関係者の実話インタビュー付きである。これは、トルコという国にあまり興味がない人であっても識っておいた方がいい話だ。だって、日本のことを無条件に好きだと言ってくれる国は、あまりないのだから。そしてその友情を日本人は再度、何らかの形で返していった方がいい。
だから僕は、まだトルコ編の2日目も終わってないけれども、今回のトルコ編は最後まで書く。ということで、お薦め雑誌でした。
歴史街道 2013年 03月号 [雑誌] | |
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