東大農学部の中嶋康博先生とのご縁で、西東京の田無(たなし)にある東大の農場にこれから数度行くこととなりそうだ。田無という地名なのに、田は有る(笑)
それにしてもこの東大農場、30ha以上も農地があり、東京でも屈指のまとまった農地と言えるのではないかと思う規模だ。
火曜~金曜日の所定の時間は後悔されており、ビジターブックに必要事項を記入することで見学することができる。ただし見学のルールと、立ち入り禁止の区域に行ってはいけない。多くの見学者は近隣の住民で、子連れのお母さん達が、本館に至る前のエントランス区域で緑を楽しんでいることが多いようだ。だからこんな看板が立っている。
今回は、僕が事務局長を務める青果物流通研究会という組織の若手達が、あるプロジェクトで東大さんとご一緒するための事前勉強会。有意義な話ができた!内容については、告知できるタイミングになったら書く。この東大のフィールドを使った、生活者にとって楽しいイベントになるからだ。
終了後、構内を視察させてもらう。
先頭中央に立っているのは僕の恩師でもある二宮さん。二宮さんはもともと国の農業研究機関のかなり偉い研究員さんだったのが、数年前に母校である東大に移ってこられた。
僕は大学時代に農業に情報技術を活かす研究分野、すなわち「農業情報」の研究をしてきた。その当時はパソコン通信、いわゆるホスト局を介してテキストメッセージをやりとりするBBSが中心となったネットワークのあり方が普通で、インターネットはまだ一般に普及していなかった。
しかし僕が在籍した慶應SFCは学生にインターネットを公開していて、僕は自分がキャンパス内に拓いた畑の作業の呼びかけをメーリングリストなどをつかってやっていた(笑)いまから思えば贅沢な使い方だ。そして自然と、農業に関する情報をインターネット上に蓄積し、だれでも活用することができる仕組みを構築したいと思うようになった。
けれども、そんな研究はまだ公にはなされていないようで、情報に乏しかった。そんな折、農業書関係の書店でちらりとみかけた研究書に、なんと農水省の研究者のメールアドレスが掲載されていた。当時、インターネットのメールアドレスが署名と共に掲載されていることは普通あり得なかったので、心底驚いた。その書籍を買い、帰って早速メールを打った。
「これこれこういう農業情報システムを日本でやりたいんですが、力になってもらえませんか?」
これに対してすぐさま返事が来た。その文面はいまでも忘れることができない。
「君のような学生が出てくるのを待っていた。すぐにつくばの研究所にいらっしゃい。」
それが二宮さんとの出会いだ。かれこれ20年前の話になる。ここで共同研究を一緒にさせていただくことから、僕の農業界における本当のキャリアが始まったと言っていいと思う。
という、昔話でした。
農場内にはこんなクラシカルな、記念碑的な建物がまだまだある。
この農場の正門の前はかなり車通りの多い通りなのだけれども、中に入るとまったく車の音も聞こえない、スケールの大きな世界になるのだ。
学生さんや研究者さん、または技術職員の人たちが、目的を持って作物の世話をしている。
東京にこんなにまとまった農地があるなんて。ここを全部、野菜で埋め尽くしたい。青果物流通研究会のメンバーがつぶやいた。
「ぜんぶ作付けしたら、うちの取引分、かなりまかなえるかもしれん」
本当にそうだね、、、年に数回、収穫物を直売するお祭りもあるそうだ。田無に住んでいる人、幸せだ。