何も言わずに下記の記事を読んでいただければ。政局の混乱がメディアによって増幅され妖怪のように語られているけれども、実はまっとうな一人一人の人間の営みなのだということを感じた。
以下の文章は、しのはら孝事務所に許可を得て転載しています。
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「04年の菅代表演説と菅総理の政策の一致と乖離」
まず以下の演説原稿をお読み頂きたい。
<曲がり角>
04年、今年は世界的にも日本にとっても大きな曲がり角にあります。歴史上日本は、目標が明確であれば厳しい条件下でもそれを達成してきました。しかし目標達成後、失敗した歴史があります。富国強兵を達成した後の軍国主義化による太平洋戦争への突入、経済大国を達成した後の官僚主導政治による財政破綻と急激な少子化がそれです。私達は自らの手で健全な日本社会を取り戻す新たな目標を定めなくてはなりません。目標とすべき日本の姿を模索する議論の中で、過去の日本の伝統的価値を見直そうという機運が強まっています。しかし参考にすべき日本的伝統とは何でしょうか。明治維新において、日本は列強に対抗して近代化を急ぐため、廃仏毀釈に象徴されるように神道イデオロギーを軸に天皇中心の中央集権国家を強引に創り上げました。当時としてはやむを得ない選択であったかもしれませんが、その結果、江戸時代まではぐくまれてきた八百万の神といった多神教的伝統は破壊されました。
江戸時代は200年余り、戦争のない平和な時代でした。生活水準も水稲栽培が中心で比較的豊かで、社会は秩序が保たれ安定し、高い識字率が庶民に親しまれた浮世絵に象徴されるように文化的にも同時代のヨーロッパよりも優れていました。私たちがこれからの日本社会を考えるにあたって参考にすべきは、明治以来の近代化に合わせた、大量生産、大量消費、大量廃棄の生活スタイルではなく、その前の江戸時代の、地産地消の「スローライフ」と呼ぶべき生活スタイルにあるように思えます。日本の農産物を食べ、木材を使うことがひいては日本の自然をまもり、農山村を子育てに適した地域として復活することになります。
<民主党政権誕生のきっかけとなった名演説>
この演説原稿を見た皆さんは、私のどこかの講演の発言と勘違いされるかもしれないが、これは紛れもなく、04年1/13の党大会での菅代表の演説原稿である。
菅さんの街頭アジ演説はやりなれており流石だが、長い演説となると、話があちこちに飛び、どうもいまひとつピンとこなかったが、原稿をもとにしたこの演説は菅さんの価値観なり理想社会が伝わってくるなかなかなものであった。
私は、この演説の中味を実現してくれるならば是非総理になってほしいと、菅さんを支えてきた。この前に経済、財政、農業政策という項目があり、この後、私は農業再生プランの作成が命じられ、鹿野道彦NC農林水産大臣の下、必死でこれを取りまとめた。そして農業再生プランが07年の参院選を1人区23勝6敗という大勝利に導くきっかけとなった。その意味では重要な演説だったのである。
<エコロジスト菅直人のこだわり政策>
再生可能エネルギー法案を通し、固定価格買い取り制度を実現することを3つの条件の一つに加えたことについて、延命の手段として飛びついただけという批判があるが、そうではない。菅総理の最もしたいことの一つがここにあることは、この演説原稿を見れば明らかである。長崎大学の坂井教授の木質系バイオマスをエネルギーとして活用する研究成果に惚れ込み、これについて語りだすと止まらなくなるのは、周りの者が皆承知している。
福岡高裁の諫早湾干拓の開門判決に対して、上告せずに応じることにしたのもエコロジスト菅の為せる技である。
だから、これをもって菅首相をなじることは見当違いも甚だしい。
<いつの間にかしぼんだ高速道路の無料化と脱官僚>
ところが、菅総理が実現したはいいが、なかなか政策が実現していない。言うことややろうとすることがぶれているのである。例えば、03年秋の菅代表の下での初めてのマニフェストによる選挙、一番の目玉公約は高速道路の無料化だった。今は自民党から4Kバラマキと言われる中で、一番評判が悪い。風見鶏というのか変わり身が早いというのか知らないが、国民の支持を政権維持の要と考える菅総理は、今やほとんど高速道路の無料化については発言していない。
その代わり、脱がつく政策で言うと、圧倒的に世間を騒がしているのは脱原発である。
<脱原発も中途半端でピシッとせず>
私は、さる会合で菅総理に対し浜岡原発の停止は漢字の間違いで、廃止のはずではないかと半分励まし、半分嫌みを言った。菅総理にとっては本当は再稼動も本意ではないことも明らかである。だから急にストレステスト(耐性評価)などと言い出している。総理になったのだから自分のしたい政策を次々に実現していけばよいはずだが、経済界の反応を見ながら、おそるおそるやっているようにしか見えず、いま一つピシッとしない。
私は曲がり角演説にもられた理想の日本の実現のため、僭越だと思いつつ農林水産行政の分野を超えて総理にいろいろ、進言・諫言してきたが、どの程度受け入れられたのか定かでない。
<菅総理を支える側や国民のストレス>
G20の農業大臣会合に関連した日本農業新聞のインタビューで、政権についての感想・評価を聞かれ、私は松木謙公前農林水産大臣政務官の「一分一秒でも早く辞めていただきたい」というのをもじり、「最後の一分一秒まで支えきる」と述べた。閣僚も民主党の執行部もそうあるべきだと思っている。
それには総理が方向性を明確に打ち出し、それを敢然と実行してもらわなければならない。ところが、この原発をめぐるドタバタを見ても、ストレステストも唐突であり、一本筋が通っていない。これでは支える側には疲れがたまり、ストレスが増えるばかりである。それよりも国民のストレスはもっと高くなっている。
ただ、脱原発も林業政策への肩入れや再生可能エネルギーの重視と同じく、紛れもなく曲がり角演説の延長線上にある。ドーヴィルサミットとOECD 50周年の首脳会合で、家庭用太陽光発電を1000万戸にし、20年代早期に再生可能エネルギーの発電割合を20%にすると大見栄を切っている。
(このように7/11の長野駅前街頭ビラに書いておいたら、7/13夕方の記者会見で脱原発、原発なき社会を目指すと堂々と述べた。具体的道筋が不明と言われているが、菅総理でなければできないことであり、評価すべきことである。)
それに対し曲がり角演説との大きな矛盾は、昨年10/1の突然のTPP交渉への参加の所信表明である。つまり日本で出来たものを食べ、地産地消、スローライフ、日本の材木で日本の家を建るという目指すべき社会からは、外国との貿易を完全に自由化するTPPなど全く見えてこない。
07年の参議院選挙の一人区において、23勝6敗となり、自民党政権下でいわゆるねじれ国会が誕生した。それは我々がずっと提案し続けた直接支払い、すなわち農業者戸別所得補償を中心とした民主党農政に対し、全国の農業関係者が期待して政権交代の芽を作ってくれたのである。政権交代は09年8月の衆議院選挙でやっと実現し、そのスタート時点は、農民の明白な民主党への支援であった。</TPPは曲がり角演説と真逆>
<羽田元総理の心配事>
私の政界入りは、羽田孜元総理から口説かれたからである。07年7/14のブログで触れたが、ここでもう一度繰り返ておく。「政権交代は出来ても、政権交代したあとの第一回目の選挙を勝ち抜かなければ、細川さんと自分の10ヶ月の非自民政権の繰り返しになってしまう。都市政党のままでも政権交代ができるだろうが、都市の有権者はブレが大きく与党への批判勢力になり、都市部の議員は落選する者が多い。自民党を長く野党にしておかないと政治改革はできない。そのためには、民主党農政を打ち立て、律儀な田舎の有権者に支持を拡げ、農村部に同僚議員を増やさないとならず、そのためには農政が必要だ。しかし、農政をする中堅議員がいない。君に農政を任せるから民主党に入って欲しい」と、しつこく8年間も勧誘され、03年11月の総選挙に出馬して政界入り、民主党入りした。羽田さんの目論見どおり、今のところはうまくいっている。
<すべてをぶち壊したTPP>
ところが、唐突なTPPへの参加所信表明により、07年の参議院選挙で投票してくれた農民を裏切ることになってしまった。そのためか10年の参院選の1人区は8勝21敗の大敗となった。そして羽田さんの恐れたとおり、民主党政権はブレ通しで都市の有権者は離れ、農民も愛想をつかしてしまった。
私は、これは大変ということで、官邸に設けられた「食と農林漁業の再生推進本部」でリカバリーショットを打つべく、日本の農林水産行政の大幅な転換も予算を減らされ続けてきた農政へのテコ入れをすべく全力をあげて取り組んできた。そこに3.11の大地震、津波そして原発災害である。またもや狂いが生じてしまった。
農民の菅政権不信はただならぬものがあり、TPP反対の署名は1100万人を突破している。長野県に至っては200万県民の3割61万人の署名がたちどころに集まっている。民主党農政を担ってきた私に対する反発も著しく、「民主党を支持しないどころではない。篠原さんをはじめ民主党議員を落としてやる」と叱責されている。長野一区での週末の支持者訪問時の「嫌菅振り」にはただならぬものがある。さんざん甘いことを言っておいて、政権を取ったら全く逆のことを言い出したのだ。田舎の人は律儀だからこそ、このような裏切りに対する反発が倍加してしまっている。
<04曲がり角演説の原点に立ち返るべき>
菅総理は市民運動育ちとよくいわれるが、それも政治の一環であり、つまるところ政治以外は何もしてこない政治オタクなのだ。そして幸せなことに、その政治の頂点に立てたのである。今あちこちから味噌くそに言われながら総理の座にしがみついているのも、菅総理には政治以外の人生など考えられないからであろう。
私は、菅総理の所信表明演説は、総理に就任してからの3回ではなく、野党第一党の党首として脂の乗り切った曲がり角演説にあると思っている。
残された菅政権の時間はどのくらいか不明だが、04年の菅代表演説の原点にもどり、政策の実現に猛進してほしいと願っている。
(( )以外、7/11午前1時30分脱稿)
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