伊藤シェフと県職員坂田さんに別れを告げ、「専門料理」副編集長のサイトウ君とともにレンタカーで移動。サイトウ君が青森取材で借りてきたものだが、通常なら岩手の営業所で乗り捨てできるはずだけど、今回はガソリン確保の不確定さなどから断られ、青森に戻らねばならない。一日にかなりの走行をさせちゃってゴメンねサイトウ君。レンタカーで被災地入ろうとしている人はその辺要確認ですよ。
2時間ちょっとかけて久慈市山形町へ。
渓流釣りをしているおじさんがいる、至って平和な光景。久慈市沿岸部は津波が来たのだけれども、山間部は岩盤が強いせいか、揺れだけで大きな事故はなかったのだ。停電とガソリン不足が長いこと強いられたとのことだが、「いやまあ燃料は薪があるしね。」とのこと。テレビも携帯もつながらなかったので、テレビが回復したとき、沿岸部の惨状が映ってビックリした人が多かったそうだ。岩手県北部の山間部は、被災に強いのかも、しれない。
そして、短角牛がいる風景にたどり着く。
カッキーこと柿木敏行君。下の写真で彼がよしよししてるのは、闘牛の横綱牛!
柿木畜産は山形村で一番頭数の多い250頭規模の短角牛生産農家だ。
山形村は大地を守る会との契約取引をしているので、大地の基準の餌である「That's国産」つまり国産資料100%で牛を育てている。とさらりと書いたけれども、国産100%の餌って、普通はありえない。超贅沢な食生活をしている牛たちなのである。
主体となるのは農家自身が育てて発酵させたデントコーンサイレージと、、、
なんと国産のくず大豆をゆでたもの!
規格外なだけだから、もちろん人が食べても美味しい!
約一年ぶりに国産丸と対面。おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお でかくなってる!
「いま720キロくらいかなぁ、眺めに育てたいって言ってたから、26ヶ月程度に目標を合わせて育ててきたよ」
という。第一子の「さち」(←覚えてますか?)はメスだったため発育が去勢オスより悪く、30ヶ月ほど育てたのに対してこちらは発育がよく、26ヶ月で750キロに到達するのである。
「やまけんが買った母牛はいい血統かもしんない。この牛舎は大きい個体を集めてるけど、そこでもでかいもんね。」
そうかうれしいぜ!
俺は決めた。この国産丸の肉は、半分(つまり半丸)を被災地の人たちに食べてもらうために無償提供しようと思う。炊き出しボランティアをする料理人さんに渡そうと思う。
で、残る半頭分のロースやヒレなどは共感してくれる飲食店、それ以外の部位は昨年同様に焼き肉用スライスにして消費者の方々に買ってもらう。その際、支援金割り増し価格で買っていただきたい。その上乗せ分はもちろん炊き出しボランティアの経費にしてもらう。食い倒れ日記の趣旨(そんなもんはないけど(笑))としてこれ以上正しいやり方はないと思う。5月後半にと畜して、十分に熟成がかかるのが6月20日くらいだろうか。ぜひ協力お願いします。
僕はカッキーを山形村の草薙君と勝手に呼んでいるのだけど(笑) 彼も義侠心のある男だ。彼に手塩をかけて育ててもらった短角牛「国産丸」のことをチョットだけ覚えておいて欲しい。
新井谷のやっ君とともにジンギスカン白樺にて昼食。山形村の必食スポットである。
さて、慌ただしくカッキーとやっくんに別れを告げて一路、二戸へ。
この3月に誕生した待望のメス牛「いなほ」に会いに行ったのだ。
この子がいなほちゃんだ。「稲穂」のことだから、飼料米を食べさせて肉にするのか?と思っている人もいるようだけど、違います。この子は母牛にします。再来年からは一年に二頭の短角牛を売らなければならないっつうことである(笑)
僕の最初の母牛である「ひつじぐも」。ずいぶんと人に馴れるようになって、やっと手から牧草を食べてくれるようになった。
こんな中でも短角牛たちは生命の営みを続けている。凄惨な光景に触れて少し荒んでいた心がいつの間にか癒された。牛たちに感謝だ。
今日はこれから、700万羽という国内でも5本の指に入る養鶏業者である十文字チキンカンパニーにて、被災状況をヒアリングしてきます。そして夜、東京へ。