ここしばらく農業側について擁護する論調でブログを書くことが多いが、九州の某県から下記のようなメールが来たのでご本人の承諾を得て紹介します。
今回、農業と他産業の対立構造に一言申し上げたくメールさせてもらいました。
私の父(58歳トマト専業農家)が農業高校に通っていた頃、教師の給料が今から考えられないほど低く生徒(農家の子弟が多い)から嘲笑されるくらいだったそうです。父の同級生で卒業後に農業に就かず町役場に勤務した方は変人扱いされたとも聞きます。
現在では、公務員は希望者多数の狭き門となっていますが、「公務員なるのがばからしい」くらい農業の地位が高い時代があったようです。
勤め人になった人も農業につけなかったから仕方なく勤めに出たケースが多かったのではないでしょうか。農業したくてもできなかった。
故郷で暮らしたかったけど離れなければならなかった。食料自給率や文化の消失という国家リスクはおいておいて、こういった農業・農村に対する憧憬と憎悪が今の農業つぶしの深層心理にありそうな気がします。
でも、そういった歴史はあまり語られませんよね。そうかといって、輸入農産物が入ってこなくなり、食料不安が起き、再び農家の地位が上がればいいなどとは思いません。野菜泥棒・米泥棒の世の中になってしまうでしょう。
農村は、昔はいい目をみていたこと、これまで農地という既得権の上にあぐらをかき、他者を排除する閉鎖的村社会を作り上げてしまったことに目を向けなければならないと思います。
もちろん、そうではない方がたくさんいらっしゃることは承知しています。
そう、実は農業が立ちゆかなくなってきたのはここ30年くらいのことだ。高度経済成長のとっかかりは、ものを作って売れば売れる時代だった。前の会社で、花の卸売会社でセリをしていた先輩が言っていたことが懐かしい。
「やまけんちゃん、産まれる時代を20年間違えたなぁ、俺がセリ台に立ってた頃はサ、なぜかいつも机の中には聖徳太子(以前の一万円札ね)が20枚くらい入ってて、それ持って銀座に行ってたもんだよ」
まじかよーと、バブル崩壊後の時代を恨んだものだけど、昔は本当に生産者も流通業者も儲かっていた時代があった。作家の筒井康隆さんが「農協月にいく」を書いたように、土地高騰の余波も受け、農業関係者にとっては「金はある」という時代があったことも事実である。
ただし、その記憶をもちつつも、これからのたべものをどうするという話は別のものとしてする必要がある。
「農業をどうするか」ではなく「たべものをどうするか」という視点で話していかなければならない。
いま、愛媛にいます。朝、すげー嵐で200mも移動できんかった。いまは陽が差してます。