宮崎応援エントリは続く。さる4月26~28日、僕は宮崎県にいたのだった。和牛や養豚経営との関わりではなくて、野菜の仕事だけれども。
冒頭の写真はサヤインゲン。ツルの伸びない、わい性のインゲンである。学生の頃に自分で作っていたときはツルあり品種だったが、支柱を長くしないといけないので面倒だった。師匠の農場で初めてツル無しインゲンを見たときに「なんて簡単でいい作物なんだ!」と感動したことを覚えている。
しかも、ツルあり品種の、いわゆるドジョウインゲンは、なんとなく表面が薄曇りして食感もそれほど強くないのに対し、ツル無し品種はツルンとして、プチンプチンとした食感。そのかわりあまり長くならないけど、僕の好みはこちらのほうなのだ。
生産者の田中さん。なかなか正面から撮らせてくれなかった!
「俺が写真をとるとよう、なんか変なものが写るんだよ。まあ、俺を撮っても何も写らないだろうけどさ」
と笑っていた。
田中さんのメイン品目はゴーヤー。まだはしりの時期で小さかったけれども、イボの立派なゴーヤーがなりはじめていた。ちなみに宮崎では昔からこの苦い野菜を「にがごり」と呼んできた。
ちょっと移動して、マンゴー生産者の島地さんのところへ。
島地さんのことを覚えている人は、僕のブログのそうとう昔からの読者さんだろう。2005年に宮崎をおそった大型台風によって西都市のマンゴー部会のハウスは倒壊し、水浸しになり、大きなダメージを受けた。西都市にいた沼口君からの要請もあり、このブログ上で義援金を募集したところ、なんの見返りもないにもかかわらず60万円くらい集まり、部会に寄付させていただいた。その時の部会長が島地さんだ。いまや部会長から地域全体の果樹生産の役に着いているそうだが、根っからの生産者である。あのときの義援金を出してくれた人たちに心から感謝してくれていて、僕が西都周辺で講演をしたりする際にも「必ず」顔を出してくれる。義理の深い方なのである。
マンゴーはこうやって、果実の重みに耐えるよう、吊り下げ栽培をする。
昨年は日照不足で不作、今年もすでに小玉傾向だそうだ。農作物は工業製品とは違い、自然環境のエネルギーで育つ。だからそのエネルギー源である自然環境の力(太陽光・気温・雨・風など)のバランスが崩れると期待通りのものが収穫できないのだ。
ちなみに一玉数千円する宮崎県産マンゴーの「太陽のたまご」とよばれる最上級品は、大玉でしかも糖度基準があり、それを満たすものしか名乗れない。それは全体の10%に満たない程度で、他のものはガクンと値が下がる。マンゴー農家はじゃんじゃん儲かっているだろうと思ったら大間違いなのだ。
ハウスから別れを告げると、僕らの乗った車が見えなくなるまで見送ってくれた。宮崎の農家はやっぱり義理人情に厚い。
西都と言えばピーマンの大産地だ。この後、数軒のピーマン農家さんを廻る。
西都市は国内でパプリカピーマンを作り続ける産地。パプリカは90年代終盤から国内栽培が盛んに試されたが、オランダや韓国からの輸入品に勝てず撤退する産地がほとんどだった。そんな中、宮崎は輸入パプリカより一回り小さい中型カラーピーマンを打ち出すことで生き残ってきた。
もちろん、ふつうの「シシ型」と呼ばれるピーマンの大産地でもある。
さて
この日もっとも驚いた光景がある。
西都市農協の八代君が連れて行ってくれたハウスの中に拡がっていた世界は、、、
なんと! 驚愕の風景であったのだ!
ばっ バッ、、、 バナナ!????????
それも沖縄の在来品種である島バナナのような小振りなものではない、ドカーンとどでかい一房が垂れ下がった、まごうことなき大型バナナである。
いやーたまげた。宮崎の環境だとできるんだなぁ、、、
生産者さん、アテンドをお願いしていたんだけど、なぞの行方不明。電話すると「おー まあ適当にみといてや」ということだったので、うろうろ。その辺に落ちていたバナナの実が勝手に熟して黄色くなっていたので、拾っていただいてしまった。
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
これは旨い!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
こいつぁビックリした! フィリピンのミンダナオ島から来るキャベンディッシュ種などとは違う品種らしいのだが、果肉のでん粉質が多いのか、もちもちした食感。しかもなんともいえぬ奥行きのある香りがする。
「イケますよね、これ?」
イケルでしょう、、、バナナ好きとしては堪らないよ、これ。たまたま落ちてたのが自然成熟して黄色くなってるものだけど、ムロに入れてちゃんとエチレンかけたらどうなるんだろう。次回訪問時にはきっちり熟したのをいただきたいと強く願う!
今日も宮崎は暑いだろうか。現地で防疫・処分で動く方々の健康を願いつつ、それを見守る宮崎県民の農家の豊作を願う。
これから高知二泊三日行ってきます。