先日の八重洲ブックセンターでの出版記念講演会が終了したあと、色んな方から名刺を頂戴したのだけれども、その中に鰻屋の老舗である「大江戸」の若き当主である涌井さんがいらっしゃったのには驚いた。
「ええ~ 大江戸さん、僕の事務所から近いからたまに食べさせていただいてますよ!」
「あらぁ~本当ですか!? 実はこんど折り入って相談があるので、鰻でも食べながら、、、」
というお誘いに乗ってしまい、のこのこと鰻満喫に出かけたのである。
日本橋三越前駅から歩いて8分、JRの新日本橋駅からだと歩いて3分というところだろうか。昭和通り沿いにその由緒正しき料亭然とした構えの「大江戸」が立つ。
いかにも料亭風の左側の入り口は個室専用のものである。あー ここはおれなんぞが夜にひょっこり来るような店じゃないんだよなぁ、と思いながら玄関をあけると「いらっしゃいませ」と和服の仲居さんさん。
「えーと、涌井さんに、、、」と言いかけると「二階でお待ちです」とすぐににこやかに対応いただき、上へ。床の間のある部屋にて都合5名での会食とあいなった。実は涌井さんはフードサービス研究会(略してフー研)という団体の今期代表幹事であり、定期的に催される勉強会の講師などを選定する役を仰せつかっているという。
「で、やまけんさんにお願いしたいというわけです」
「うーん でもこの名簿見たらスゴイ方達ばっかり名を連ねてますね、、、じゃあ、講師料は適当でいいんで、この名簿に載ってる店で一回ずつ飯を食わせていただくってのはどうでしょうかね?」
「あ そんなのは全然問題ないと思いますよ!」
、、、涌井さん、、、聴きましたョ、、、
そんなわけで講師受諾。宴席と相成ったのである。 大江戸にて夕餉をいただいたことはなかったのだけど、実にきちんとした日本料理の前菜をいただきながら、でもやはり主役は鰻である。 うざく、美味しゅうございました。
こんなに鰻がたっぷり入ったうざくもなかなか食べられない。鰻の肝、 美味しゅうございました。私としては白飯の上に、したたるタレと共にガッと載せて山椒をめいっぱい降り、飯をかっこみたい。
そして、、、出てきました塗りのお重に鎮座ましますものは!? あまりに美しい白焼きである。
「やまけんさんに今日は天然と養殖の食べ比べをしていただこうと思いまして、、、白焼きでお出しするのは、私のところで使っている、ブランドを確立した養鰻所(ようまんじょ)の鰻です。」
僕も識らなかったが、養鰻の世界でもブランドを確立した佳いものがあるそうだ。なんでも2つくらいしかブランドといえるようなものはないらしいのだが、、、 この白焼き、実に丸い、豊かな脂が全体に廻っていながら、嫌みや臭みを全く感じない素晴らしいものだった。ふくよかだ、、、
「実はねやまけんさん、鰻は産地で選ぶなんていうのは違うん です。養鰻をする人によって、やり方が全然違う。飼う環境、餌、育て方、出荷前の処理など多岐にわたって、味に関与するところがあります。ですから、「どこそこの産地なら問題ない」なんてことはないんですよ。私たちは最終的には人でみています。」
うーむ なるほど
これは青果物でも全く同じことである。究極的には、畑が違えば同じ味のものはできない。標高差が50センチあれば気候・微気象も変わってくる。同じ味のものなんてできやしないのである。鰻もまったくそうであった。
「さて それでは今日のスペシャルです。天然物の鰻を蒲焼きにして参りました」
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
これ、比較対象物を置かなかったからわからないと思うけれども、長さ50センチはあろうかという超大物である! ね、値段きけないよぉ~~~~~
以前、週アス取材で四万十川の天然鰻の、同じような大物をいただいたことがある。その時も現地の市場価格でもの凄い価格になっていたのだから、、、飲食店の段階でいくらくらいの値段がつくのか皆目見当がつかない。
「好きなだけ食べてくださいね」
と言われたので、それはもう頭側の大きな一片を切り取り、いただくこととしたのである。これ一片で鰻重になるくらいの大きさだ。
先にいただいた養殖物と比べて明らかに違うなと思ったのは、皮と身の独立性とでもいおうか。養殖のほうは皮下の脂が身肉にもまんべんなく廻っていて、全体として柔らかさが一貫していたように思う。けれど、天然鰻は皮と身肉の質が、白焼きと蒸しと本焼きを経ているにもかかわらず、明らかに違う。下の写真を見ての通り、皮と身肉が主張をもって分離する。そして、身肉部分が明らかに魚っぽさを留めている。養殖物はあまし魚の肉という繊維感が残っていないように思うのは気のせいだったろうか? 味も明らかに違っていて、養殖の場合には全体に廻っていた油分を感じない。これって、黒毛和牛の霜降り肉と、短角牛などの赤身肉との違いにも共通している部分を感じてしまうが、的外れだろうか。
「天然鰻、美味しいでしょ? なんていうかね、潔い旨さがあるんですよ。本当に尊い味です。ただ、これを何も言わずにお出ししてもわかっていただけるお客さんは少ないです」
うーむそうだろうなぁ、おそらく僕も何も言わずに出されたらわからないな。でも、この次に運ばれてきた真打ち・鰻重と食べ比べると明らかに味わいの違いは感じられるものだと言うことがわかった。
うーむ美しき様式美!
蓋を開けると、、、
でたっ
この店名物、平日のランチでは食べることのできない「二本いかだ」である! このように二本、お重の隅で反り返るほどの大きさの鰻が載っているスペシャルバージョンである。 いやー この時、なんとゴージャス!と思いながらも、頭の片隅で「この飯をつついていくと、内部にまた一段鰻が出てくる、なんていうダブル2本いかだってのはアリかなぁ、、、」などと思ってしまった。涌井さん、そんなのありかしら?
なんてムチャはともかく、やはり伝統の焼き、伝統のタレは実に美味い! 以前から書いているごとく、僕は本来は関西風の、蒸さない鰻が大好きだ。今もその嗜好は変わらない。でも、江戸前の鰻も実に美味しいよなぁ、と思うようになってきた。血気盛んなころは物足りなく思っていた関東風の蒲焼きだが、蒸すことで余分な油分が抜けてあっさりに仕上がるだけではなく、皮目の独特の匂いの除去、そして身肉と皮の一体感の形成、そして風味全体がまろやかになるようなメリットを感じたのである。
それに第一、大江戸のタレが旨い!
「結局、鰻屋の最大の勝負のポイントはタレなんです」
というように、大江戸のタレはくどすぎずアッサリしすぎず、実によいあんばい。タレだけで飯を食いたいと思ってしまうくらいである。
ちなみにこれはさきの白焼きと同じブランド養殖ものだ。実に脂の周り具合がまろやかでおいしい。けど、個人的には天然鰻の、脂が廻りすぎていない、魚の肉だという主張が感じられる食感と風味のほうが好きだな、と思ったのだ。
ということで、
僕ははからずも自分の嗜好が経年変化してきていることを識った。関東の鰻、旨い。また勉強させてください、涌井さん!(おねだり)
勉強会、頑張ります、、、