明日は朝から飛騨高山に向けて出張。この3月は大きな調査案件のために、例年とは違い講演を入れないようにしているのだけど、どうしても断れない講演があるのだ。電車で4時間かかるので、原稿を集中して書くつもりだ。
で、実は昨年中の写真なのだけど、、、
熊本県で自然農法を実践する元田さんから、「まあ食べてみて」と野菜が送られてきた。なかなか美しい姿の、色とりどりの野菜たちが居たので、写真を撮らせていただいた。
自然農法、、、
この言葉にはいろんな伝説や定義がつきまとっているが、広義でいえば「肥料も農薬も全く与えずに栽培する農法」といってしまってよいだろうか。有機とか無機とかの話ではなく、「全く何も与えない」ということだ。
でも、そんな農法が成り立つのか?
そもそも植物は肥料成分がなければ育たないではないか?まして人間が食べるために育種された作物は、野に咲く野草とは違い、肥料を要求するはずだ。
そう思う人も多いだろう。
僕は自然農法を実践したことはないので、この辺について詳しいことを話す資格は全くない。が、見聞きしたレベルでいえば、畑の中にバランスのとれた生態系を現出させる技術は存在しており、無肥料で作物を育てることはどうやら可能なようだ、といえる。
ただし、それは非常に実現が難しく、誰でもどこでもできるというものではないようでもある。環境が変われば細かな手法も変わるはずであり、再現性も担保されないかもしれない。そういうことから、自然農法というのは神秘化・伝説化されているように見える。
僕は、個人的には肥料を使わない農業というものにはそれほど惹かれない。
なぜかと言えば、日本人が肉や乳製品を必要とする現代の文明を維持したいと願っている以上、畜産から排出される膨大な有機物(糞とか尿ね)に含まれる窒素成分を、環境汚染材料としないようにきちんと消化しなければならない。その消化方法は、作物栽培のエネルギーとすることが最適だと考えるからだ。
だから僕が近い将来(いつになるかまだはっきりしないけども)に、学生時代以来の自分の畑を持つ時には、堆肥を投入する農業を選ぶだろう。
ただ、「行為としての自然農法」は非常にチャレンジングで魅力的である。
昨今、野菜のプロの間では、化学肥料で栽培した野菜と有機質肥料で栽培した野菜、という区別だけではなく、動物性有機肥料(つまり糞とか尿ね)を使うか植物性の有機肥料を使うかで味が全く違う、というレベルの議論が起こっている。
その観点からすれば無肥料栽培は究極に澄み切った味がするような気がするではないか。
さて
元田さんの野菜だが、葉物類については かなり旨い!
特に、この山東菜が実に美味しかったのだ。
白菜とは全く違うなめらかに柔らかい食感とシクッという心地よい噛み応え。本当に秀逸な野菜だった。
いただいた野菜の大半を占める葉野菜は、最も作りやすいというか、それほど多肥を必要としないものが多いからか、すばらしい出来のものが多かったといえる。
葱類と根菜類は、まだまだ今後、先がありそうだと感じた。
とくに長ネギは市場規格や飲食店用規格を考えると、多肥をして均一に太く長く生育させることが前提となる。自然農法の長葱はそういう意味では苦戦しそうだ。
根菜類についてもこれからもっと美味しくなるだろう。現在、まだ味が突出している要素が多い。土壌中のバランスに欠乏している要素があるからだと推測する。
ただ、飲食店とくにイタリアンやフレンチのシェフにとっては、相対的に風味が強く感じられるため、重宝されるだろう。ブンッと強い香りの立つ野菜の方が魅力的だからだ。
それにしても
やっぱり野菜は美しい。
元田さん、たくさんの野菜を送ってくれてありがとうございました。ぜーんぶいただきました。また個人的に感想送ります。