オフ会打ち上げの前々日、陸前高田の広田湾でスンばらしい牡蠣を獲る漁師・佐藤カズオちゃんから牡蠣がどどっと届いた!
広田湾の牡蠣といえば、いま築地あたりでは凄まじい高値で取引される超・高級ブランドである。とある高級ホテルのレストランで、この牡蠣を使ったコキーユ、一番でかい規格の牡蠣が2つ使われたやつでなんと5千円とってるのを観た!という目撃談がある。けどその大きさ、そして繊細な風味を味わった者であれば、それもしょうがねーな、と思ってしまうに違いない旨さだ。
同封された牡蠣剥きナイフでえっちらおっちら殻を剥く。最初の、殻の上下のかみ合わせ部分にナイフをこじいれることが出来さえすれば、コキコキと貝柱を探り切ってバカンと開けることが出来る。
やっぱりでけぇ、、、
でかい牡蠣が最高とは言わないが、しかしそれにしても説得力のある光景である。
しかも、一つ一つの個体が個性を持っている。
姿も味わいも「他と違う」っていいことだ。他との違い、異質さこそが価値なんだと思う。
そのまま何もかけずにツルルルッとすすり込む。
牡蠣の内部に湛えられていた冷たい海の潮味と共に、牡蠣の滑らかな身肉が口中にぬるりと入ってくる。そのままでも味が舌に染みてくるのを、噛んで表面を突き破ると、内部に蓄えられていた旨みがドドッと濃厚に流れ出てくる。まったく何の調味料も要らない、ものすごい味だ。この旨みが数年に渡って蓄積されたものだと考えると重みがある。そして、こんなに雑味がないなんて、どんなに綺麗な海なんだろう、と思いをはせてしまう。広田湾も、漁師達が植林をして、湾に注ぎ込む水を浄化するという取組をしている。その結果がすべてこの牡蠣に現れているのだ。
全部生で食べきってしまいそうだったが、かろうじて数個を牡蠣ご飯にする。酒、みりんと醤油で軽く7割くらい火を通し、煮汁だけ吸水させたご飯に注いで炊く。炊きあがったら牡蠣を鍋に戻して軽く蒸らし、牡蠣を破らないようにさっくり混ぜる。
実にグレートなお焦げもできた。一口くって、悶絶。旨い。熱を通した牡蠣の旨さは、生で食べる清々しさとは別種の、リッチで複雑な旨さだ。しかも醤油の香りと牡蠣の旨みが合わさるのが最高の配役。
こんなに旨い広田湾の牡蠣、実はカズオちゃんは消費者向け販売をしようと思っていた。その金額を聞いてビックリ。料理屋で出てくるのよりぜったいに自分で取り寄せた方がお得なバカ安価格だった。
しかし、、、
「すみません、本年度は、ネットによる販売ができなくなりました。先日の夕方に殻付きカキの業者会議があり、とある市場への出荷を打ち切ることが決定しました。理由は、注文に対して、生産量があまりにも追いつかないため……です。
というわけで、市場の注文にこたえられなくなってきているのが現状です。
現在、二箇所の市場への出荷を行っておりますが、10年前に7人いた殻付き業者が現在では、3人までへってしまいました。(4人のうち一人は引退。残る3人は、むき身への転換です。転換した理由は、休みが取れないからです。)そこで、一つの市場への出荷に絞ります。
それなのに、ネット上での「新規の」顧客拡大をするなどということは、市場への信義に反するということになり、自粛することが業者間できまりました。大変申し訳ありません。」
というものだ。
律儀だ、、、危険な海で働く漁師たちは信義に厚い。
それにしても、人不足である。市場からは「どんどん出荷してくれ!」と言われる高級ブランド。当然、儲からないことはないだろう。それなのに、後継者がどんどんいなくなる。
日本では、第一次産業に従事する人たちがここ数年で凄まじい下降線を辿っている。その代わりにサービス産業である第三次産業が増えている。このままでは、本当に美味しい食を供給する生産者はいなくなってしまう危機にあるのだが、、、「食料争奪」とかいってる場合じゃない。どこかから獲ってくるのではなく、「育てる」という発想を持たなければどうにも立ちゆかなくなる。
先のエントリの大分の蒲江での養殖漁師である村松さんの言っていることともかぶさるが、海洋資源についても、継続性を担保できるものへの転換が必要ではないか。そして、そうしたものを選ぶ消費者の視点も必要なのではないだろうか。そう思うのだ。