静岡には、独特なおでん文化があることはご存じだろう。
真っ黒な煮汁の中にダイコンなどのオーソドックスなネタのみならず、牛すじやモツ、黒はんぺんの串が沈んでいる。それに青のりとだし粉という削り節の微粉をかけて食べるあれだ。
僕は大学院生の頃、製茶メーカである葉桐の専務に連れられて茶市場を見学した折、朝飯を食べるために定食屋にいったのが初体験だ。鍋から自分で好きなだけ串をとり、茶飯とともに食べる。ムチャクチャ旨いとかそういうのではなくて、じんわりと日常の、ハレとケでいえば完全にケの食だなぁと思った者だ。確か会計は3人で数百円だった。
そんな静岡おでんも昨今はご当地グルメで人気が出ているようだ。ブームはすぐに去るものだけど、昔からの郷土食にスポットが当たることは悪いことではないと思う。さてこの日は、静岡案内人のTにマニアックな店に連れて行ってもらった。
「もうね、 すんごーくいい味出してる店。ガイドブックとかには書きようがないんじゃないかなってくらいの。」
なんだかさっぱりワカランが、行ってみようではないか。
静岡駅からはちょっと離れた、普通の市街。駐車場が空いていないので一回店の前を通り過ぎると、たしかに店全体を茶渋で煮染めたようなたたずまいだ。
氷と大やきいもというのがのれんに書かれているが、おでんという文字は見あたらない。
「おでん屋じゃないの?」
「いや、おでん屋とかそういう、専門的な上等なもんじゃないんですヨ。何でもあります」
ますますわからん。
どうやら焼き芋が名物の店らしいのだが、秋以降でないと焼き芋は売っていないらしい。当たり前か!
店にはいると一番最初にどんと見えるのがおでんの机だ。
ああもうすでに漆黒の空間である。
黒はんぺん、牛すじ、豚モツ、卵、ゴボウ巻き、こんにゃくなどが入っているが、ダイコンは入っていない。どれも一本60円くらい(だったと思う)である。これらは特に店のおばちゃんに断るでもなく、とにかくセルフで好きな串をとってだし粉をかけ、席で食べる。
いやもう
味についてコメントするのは愚というものだろう。真っ黒な汁だが、しみこんだ味はごくごくあっさりとしたものだ。豚モツ串はややモツ臭さが残っていてワイルド。
僕はこの静岡名物黒はんぺんが大好きだ。
黒はんぺんは愛媛のじゃこ天とも福岡の天ぷらとも、鹿児島の薩摩揚げとも違う濃い風味があるのだ。こいつにパン粉をまぶしてフライにしたものに中濃ソースをかけて食べるのがたまらなく旨いのだ!
ちなみに飲み物もセルフ。
「これ、貴重ですよ! みかん果汁が一滴も入っていない『みかん水』」
おおおぉ~
しかも「オウカンカゴメ」という紛らわしいメーカー名だ(笑)
もちろう飲む。炭酸も入っていない、香料と砂糖だけで造ったような味で、これはこれで味がある。
それにしても、味があるといったらこの店のたたずまい自体が味だらけだ。
店内にしつらえられた焼き芋用の竈(かまど)や暖簾がたまらない風情だ。しかもひっきりなしにおばちゃんや小中高生、家族連れがふらっと入ってくる。何も言わずにおでんを2,3串皿にとってつまんで、勘定して出て行く。
「わぁ~ おでんだぁ!」とか「かき氷だぁ!」とか声を上げるわけではない。日常の一こまとして黙々と食べて、長居をせずにすっと出て行く。僕のように異邦人がきて、その雰囲気を味わうのは、この店の流儀からすれば全くはずれた行為なのだなぁ、と思ってしまう。とにかくこの店は本当にこの近隣の人たちの日常の場として成立しているのだ!
かき氷の「レインボー」を頼む。練乳かけてもらって300円程度。果たしてこの店で一人3000円以上使える人はいるんだろうか。
ちなみになんとこの店、「大やきいも」という暖簾がたくさんあったのでそれが名物かと思っていたら、なんと店の名前が「大やきいも」だそうだ。実に味わい深い店であった。静かな心持ちになって店を出る。
駐車場まで歩いていく途中に、カレー屋さん「六文銭」という店を発見。どうも気になる。
「カレーくらい食えるよな?」
ということで入店。これが当たった!
昼飯時間を過ぎていたのでゆったり食べることが出来たが、バンダナを巻いた精悍なマスターによってきちんと仕込まれた感のあるカレーだった。こちらはキーマ。
野菜カレーも物足りなさのない仕上がりだった。
実は僕が、永住するならどこがいいかなと思ったとき、静岡か宮崎がいいな、と今の時点では思っている。それはどちらにもソウルフード的空間と、新興食文化の交錯する地点があるからだ。この日は静岡のローカルフードの底知れぬ広がりの一端を見た思いがした。黒はんぺんと上ジャコを買って新幹線に乗り、少しうとうとしたと思ったら、もう東京についていた。なんだか名残惜しい午後だったのだ。