いやもう
最近、山菜づいている。それもこれも、秋田県の食材指南役であるイトウさんのおかげである。
「今年も実家の裏山で獲れる山菜を一杯おくりますよぉ!」
というかけ声の元、本当にどどどどどどどどどっと届いたのだ!
先日来、何回か書いた「みず」も、赤みずと青みずの両方を送って頂いた。青みずの方は若干細めなので、みそ汁の具などにして、太い赤みずの方をたたきにして頂いている。
ちなみに僕のミズに関するお作法は間違っているらしく、農産物流通の大先輩であるA内さんからは
「ヤマケンちゃんねぇ、茹でる前に皮を剥くんだよ、茹でる前に。もうこれは実地で教えてやらにゃいかんなぁ」
などとコケにされまくりである(笑) ご覧の通りミズのエントリへのコメントも多く(皆様ありがとうございます)、東北出身の方々のミズへの愛着を感じる次第だ。ちなみに、ミズを湯通しすると、くすんだ色のミズが鮮やかな蛍光色のような緑色に変容するのだが、その証拠写真がこれだ。
手前に一本あるのが茹でる前、奥が1分ほど熱湯に通したものだ。全く色が変わっているのがお分かりだろう。光の加減で地味な緑色に見えるだろうが、実はド派手な蛍光緑色なんである!ここしばらくミズのたたきばっかりやって食べている。全く飽きないのだ!
さて今回入っていた中で最も感動したのが「山のアスパラ」と書かれて新聞紙にくるまれたものだ。ひょろんとした鮮やかな緑色をした茎の山菜で、みためはわりと貧相なので「ふうん」と思いながら塩ゆでにしてみた。
アスパラねぇ、こんな細い茎で、、、と思いながら口に運び噛んでビックリした!
本当にアスパラじゃん!
いや、アスパラよりある意味旨いかも知れない! アスパラガスのあの香ばしいコクのある香りが、この細い茎のなかに凝縮されているのである!
これはびっくり!思わず嫁には内緒で全部食べてしまおうかと思ってしまったほどである。いやもうビックリ。この山菜の正式名称を調べているのだけども、「しょでこ」てやつなのか「アイコ」なのかようわからん。知っている方がいらっしゃったらぜひコメントお願い致します。
それと、山菜の定番である山ウド。市販されている白ウドではなく、山間部に自生しているものだ。陽光を浴びているのでしっかり光合成しており、濃い緑色の皮部と、茎中の旨味を湛えた部分のコントラストが美しい。
本来的には酢みそでヌタにしていただきたいのだが、早く食べたくて、これも塩茹でにしただけで口にしてしまう。
ブワッと口中に拡がるほろ苦くも高貴な山の薫り。とても美しい!感動的な濃さである。
いや本当に素晴らしいなぁ、、、 山菜は。
山菜とは山が恵んでくれる菜である。農作物と違うのは、山菜は肥料をやらなくとも、世話をせずとも芽吹いてくれるということである。これは重要なことだ。山を歩いてみればわかるだろうが、何も肥料を撒いたりしないのにも関わらず、木々が青々と生い茂る。生態系の中で必要な栄養が循環するようになっているのだ。その中で芽吹いた山菜を、人間が恵んでいただくわけである。
山菜が栽培農産物と全く違うのは、人為的な肥料を全く投入されずに育つところにあるのだと思う。そう、完全に自然界にある養分をかき集め自生した野生植物の味の濃さに、有機肥料や化学肥料を与えられて育つ栽培農産物が敵うわけがないのである。無論、野生の山菜では計画的な生産などできないから栽培農産物が生まれたわけだから、それを卑下するのは絶対にあってはならないのだが、野菜や果物のあるべき原型は、山にあるということを忘れずに居たいものだ。
そして、山菜には必ずえぐみや苦みがある。これも重要なポイントだ。人間がデフォルトでは美味しいと思わない味がある。それを我慢して食べ続けていると、ある時点でいきなり「美味しい」と感じる瞬間が来る。こうやって味覚のダイナミックレンジが拡がっていくのだと思う。幼い頃から、糖分や油分といった、人間が学習しないでも美味しいと思ってしまうものだけで育てられてしまうと、こうした味覚のダイナミックレンジは拡がっていかないはずだ。そういう意味でも、山菜を食べるということは重要な文化だと思う。子供に山菜を食べさせるのは必須だと思うな。
ともあれ
今年は昨年以上に秋田の山の幸を楽しませて頂いた!また秋頃には秋田の旨いもんを巡るツアーがしたいものだ!