日本最高クラスの養鶏家が逝った。 駿河若シャモ生産者の雄・鈴木恵美子さんを偲ぶ

2005年3月 3日 from 農家との対話

1年半に渡り食い倒れ日記を書いてきて、こんなに悲しいことを書くことになるとは思わなかった。

駿河若シャモ振興会の会長にして、13日に開催されるはずだった静岡オフ会の主催者である鈴木恵美子さんが1日、交通事故で亡くなった。

■駿河若シャモ
http://www.yamaken.org/mt/kuidaore/archives/000076.html

静岡県職員の岩澤さんから電話を受けた時、数秒間、何が起こったのかよくわからなかった。実を言うと、お骨の前で焼香をしてきた今でも、実感が湧いてこない。ただ、なにを考えようにも力が湧かない。

駿河若シャモの生産農家の中でも、突出した飼養管理技術を持ち、また強いこだわりと愛情をもって若シャモを育ててこられた。静岡県中小家畜試験場が産み出した駿河若シャモという品種を、誰に育ててもらうのかという時に、「私がやろう」と真っ先に名乗りを上げてくれたという。ちなみに彼女は「開運」で有名な土井酒造の娘さんで、まさか地鶏の生産農家になろうとは、と皆が驚いたという。それから10年間、技術が確立し、これから一番波に乗る時期だったのに、もう恵美子さんは逝ってしまった。

オフ会参加当選者の方々には連絡済みなのだが、オフ会は「延期」させていただくことにした。皆が恵美子さんの冥福を祈ってくれた。ただしこれはあくまで「延期」である。中止ではない。いずれ彼女の遺志を噛みしめながら若シャモを味わう会をぜひやろう。

本日、リテールテックでの講演後、掛川に赴いた。迎えに来てくださった岩澤さんの車で掛川駅から40分、山奥に分け入る。遺骨になった恵美子さんに会って、ご主人と息子さんに鶏舎を見せて頂いた。僕は今までここに足を運ぶチャンスがなかった。とうとう恵美子さんが生きている間に来ることができなかった。それがとても残念だ。

線香をあげさせて頂いた後、掛川駅近くの、恵美子さんがじっこんにしていた飲み屋で酒を飲んだ。店の主人が、恵美子さんの若シャモのスープで半田そうめんを汁そばにしてくれた。おそらく最後になるであろう恵美子さんの若シャモのスープの味は、とてもじゃないが言葉にはできない。

色んな地鶏を食べたのだが、僕の好みに最も合うのは、お世辞抜きに恵美子さんの若シャモであった。他の人が育てた若シャモも旨いが、彼女が丁寧に育てたシャモは別格だった。あのみたこともないオレンジ色のレバーには、シャモにストレスを感じさせない細やかな気配りが反映していた。ご遺族は今後、シャモのことも含めいろいろと考えていきたい、と言うことだったが、なにぶんいきなりの話だ。まずは無理をせず、ゆっくりとして頂きたいと思う。

こんなことになってしまうこともあるのだ。食べることも、人と出会うのも、一期一会だ。一日も無駄に生きてはいけないのだと、今更ながら思った。僕からのお願いだが、若シャモを食べたことがない人もぜひ、今日は鈴木恵美子さんのことを想って頂きたい。日本最高峰の養鶏家の一人だ。

こんなこと言っても意味がないのだけど、頼むから皆さん事故には気をつけてください。残された人がなんともやりきれない。病気で入院していれば、励ますこともできる。でも事故はいきなり根こそぎ、全てを奪い取ってしまう。

今日はもう、何も考えられない。明日からまた元気にblogを書きますが、今夜はもう何もダメだ。勘弁してください。