朝、パスクワリーノの別荘に別れを告げる。楽しい三日間だった!
「ちっきしょー! シラクーサを去る日に晴れるなんて、どうかしてるぜ!」
とキーコが舌打ちするように、イタリアに来て初めてと言っていいくらいの綺麗な綺麗な、青い空が拡がっている。
「夏になると、この辺の草が全部枯れちまって、荒涼とした風景になるんだよ。だから今から数ヶ月が一番綺麗な時期だよな。」
なんと!暑すぎて草も生えないとは凄まじい!
ちなみに僕らが立っているのは、実はこれバス停である。
「パスクワリーノの別荘に住み始めた時、シラクーサまではバスで15分くらいかかるんだけど、『朝ここで待ってろ』としか言われなかったんだ。待てっていったって、バス停の看板があるわけでもないし、すっげぇ不安なんだよ。しかもバスの時刻表なんてこっちにはなくてね。『9時に始発の駅を発車する』てことだけが決まってるだけなんだ。だからこのバス停に来る時間がいつも違うんだよ。一度、あと200メートルくらいでバス停ってところでバスが去って行ってしまったことがあるよ、、、」
そんなときは一体どうするんだ?と訊くと、
「ぼーっとしてると、バイクに乗った人とかが停まってくれて『どうした?』て訊いてくるんだ。事情を話すと乗っけてくれて、シラクーサ市街まで送ってくれるんだ。」
そんな、牧歌的な土地なのだ、シチリア・シラクーサは。
さてこの日バスはあまり遅れずにやってきて、暴走と言えるスピードですっとばした。このバスの前の方に15歳くらいの少女が立っていたのだが、この娘が実に美しい造形であった!僕とコバがしげしげと眺める。と、コバが確信に満ちた声で「やまけんさんオレ、ウルトラマン顔が好きなんすよ。鼻が高いのが最高っす!」とのたまっていた。
初日にバスが停まったのと同じところからカターニャ行きの長距離バスが出ている。1時間半揺られてカターニャ到着。インフォメーションに行ってパンフをもらい、ホテルをその時点で決める。キーコが昔停まったことがあるホテルにし、市内行きのバスに乗る。
通りを10分ほど歩いて着いたホテルは3つ星ランクで、中の上といったところだ。でも、これでも十分。
キーコが停まった時には着いていなかったエアコンがついていたため、寒さにやられるということもない。
一服した後、「さあそれじゃあ メルカート(市場)に繰り出すか!」となる。そう、ここカターニャは活気のある市場があるのだ。それも目当てだったので、実はホテルから150メートルほどの距離にメルカートがあるという絶好のロケーションである。
「とにかくスリとかに気をつけて!」
とキーコが繰り返す。結局この旅の中でスリやひったくりといった盗難に遭うことは一度もなかったのだが、それはこの頻繁にキーコからかけられる警戒の声があったからかもしれない。
ともあれ、メルカートはシラクーサのそれよりも一段活気のあるものだった。シラクーサのメルカートは野菜が中心だったのに対して、ここのは肉や魚が中心になっていたからだろうか。
羊肉なんかは、一頭を半身に割ったのがそのまま吊されている。この他、ウサギなどもあり、肉の種類は本当に豊富だった!
圧倒されたのはチーズの種類だ。おびただしい乳白色の塊がショーケースの中にずらずらと雑然と並んでいる。イタリアの人たちはこの一つ一つをきちんと峻別して買っているのかと思うと頭が下がる。
さてこの日は、実はメルカートではなく、ペシェ(魚)を食べさせるオステリアに行くのが目当てであった。
「昔入って、すっごく店に勢いがあって旨い店だったんだ。結婚してからも嫁さんと来たことがあるけど、やっぱり嫁さんも喜んじゃってさ。あそこにいってみよう。」
そう思い出にふけるキーコが足を向けたのがこの店だ。
■オステリア アンティカ・マリーナ
メルカートの魚売り場のすぐ横に位置するこの店は、いってみれば築地の場外市場みたいなものだ。
観ているとひっきりなしに客がその扉の向こうに吸い込まれていく。
「前に行った時は、昼飯を食べようと思ったら一杯で、予約を取りたいって言ったら、なんとその日の23時にならないと入れないって!仕方がないから23時から飯を食べに行ったよ。そして、あまりの新鮮さ、勢いの良さ、キップの良いサービスに参っちゃったんだよね!」
店内はほどよく狭く、外の光が入ってきて明るい。注目すべきはカメリエーレの数で、40数席ほどの小さな店なのに5人くらいのカメリエーレが居る。全員男で、ジーンズにワイシャツ、そしてベストを着ているのがトレードマークとなっている。全員にプロ意識がしっかりと行き渡っているようで、このカメリエーレ達のきびきびした態度、客への適切な距離感が実にいい。
前菜は氷蔵ケースにある大皿からカメリエーレが盛って客席に運ぶ。また、パスタも厨房から大皿できたものを人数分、彼らが取り分けてテーブルに持っていく。魚を頼むと、皮がバリバリに焦げるまで焼いたのを、彼らがこうして綺麗に取り分けるのだ。
ちなみに写真の彼はディカプリオ的ハンサムなカメリエーレだったゾ。
さて僕らの食卓にもパンが並べられ、料理の準備が整った。
前菜は小皿に7種類盛られて運ばれてきた。どれもこれも旨そうだ!
タコなどのマリネ、鰻のフリットを甘酢に漬けた、南蛮漬けみたいなの、小さな貝のマリネ、野菜、小イカのフリットなど、すべて酢が効いたものばかりで嬉しい。
再三言うが、料理で絶対的に重要なのは前菜アンティパストだ。これが旨ければ、後が満足行かなくてもなんとか我慢できる。前菜にケチケチしていて、しかもその後が今ひとつだと、目も当てられない。
7種を全部こんもりと載せるとこんな感じだ。
「相変わらず喰うなぁ」
と言われながらも、好きなんだからしょうがない!
この前菜、どれもこれも旨かった。特に好きだったのが、例の「魚屋の息子が剥いている」海老のマリネだ。小指の第一関節くらいの小さな海老だが、トロリとして、甘くて濃い海老の味がする。
前菜とセモリナ粉のパンをむしって食べていると、パスタが上がってきた。
これを、客にあまり愛想をまかないカメリエーレの渋いおっちゃんが取り分けてくれる。これがまたカッコイイのだ。
「こっちはカメリエーレはプロ意識がビシッとしていてかっこいいんだよ!イタリアでは厨房よりサービスにお金をかける。この店だっておそらく厨房には2人くらいで、カメリエーレは5人。その方が店の活気が出るし、お客さんだって楽しいでしょ?」
そう言えば、満員のテーブルを見回すと、男ども、女性の母子、家族といった雑多な集まりの各テーブルでは皆が楽しげに皿をつついている。確かに心地よい空気が流れているのだ!
「日本にもこういう店があればいいのにね。」といっていると、パスタが運ばれてきた!
一皿目は白魚のパスタだ。これは昨年、木場のイ・ビスケッロで食べたシラスのパスタにも似ているが、もっとトマトを淡くしたものだ。こちらで食べるパスタはあまりトマトがタップリとは使われていない。オイルでペシェを香ばしく炒め、プチトマト少しみたいな感じで風味付けに使っているようだ。そしてその方が逆にトマトの存在感がでるような気もする。
二皿目はトンノ(まぐろ)のブカティーニ。
ブカティーニはこの写真を見れば分かるように、真ん中に穴の空いた太めのロングバスタだ。噛みごたえがあるので、濃いめの味付けがよく合うと言われている。このパスタのサルサは、シチリアの基本である、オリーブとケイパーと一緒にトンノを炒め、ペシェのブロードを少し加えたのにやはり少量のトマトを加えたという感じのアッサリ度だ。しかし、ブカティーニの強さに真っ向から対決できる強い味が付いている。
「なんてことはないんだけど、旨いよね!」
そう、なんてことはないんだが、実に旨い!本当はボッタルガ(マグロの卵巣を干したカラスミみたいなの)のパスタを頼んでいたんだが、違うモノが出てきた。それでも満足、満足!
「カラマリ!」と出てきたのは、巨大な甲イカのフリットだ。こんなに大皿で出てくるとは思わなかった!
リモーネを絞って食べると、フカフカの柔らかなカラマリが引き締まって、それでも柔らかくて甘くて、もう言うことなしだ!
そして、かちゃかちゃと音をさせながらスズキのグリルの皮を外したものがやってきた!そう、今回は一匹の魚をオーダーしたのだ!
みればお分かりの通り、単にスズキ一匹にハーブを噛ませてグリルし、皮目が焦げるまで火を通しただけのものだ。日本の焼き魚と何ら変わりはない。これにテーブルに置かれたエクストラ・バージンのオリーブオイルをどっぷりとかけて、リモーネと塩をかけて食べるだけ。
こいつが実に旨い!まずオリーブオイルのフレッシュさ、まさにオリーブのジュースのような豊かな香りと焼き魚の汁が混ざり、無愛想な塩がリモーネの果汁と合わさることで豊穣に変身してしまう。超満足である!
勢いよく食べ、ご満悦の僕たち。気持ちよく勘定を頼むと、、、なんと123ユーロ(17200円くらい)もしてしまった!ワインは一切飲んでいないから、かなり高い!
「ん~ そうかスズキ一匹で60ユーロくらいしてるね。魚はねぇ、こっちでは高いんだよ!けどそれにしても高いな、、、ユーロが高くなって、イタリアの人でも外食を控えているってきいたけど、これは酷いね!」
ちょっとビックリしたが、それでもまあこの店の旨さと勢いの良さは特筆に値する。そういえば食い倒れ仲間となった築地王様の名著「築地で食べる」にも書いてあるとおり、築地は安い、ということではなく、「良いものが、高級店よりは安く食べられるのだ」という捉え方をした方が良いというのと似ている。確かにこの満足感は得がたいものだ。実はこの後の数日間よりも高い満足度をこの店では感じた。もし訪れるひとがいるなら、魚一匹の値段に気をつけるならば満足度の高い食事ができること請け合いだ。
いやー高かったけど、旨かった!かなり気持ちよくなってホテルに戻るのであった。