朝5時、気配を感じ起きると、ひろっきいが起きだし、作業の準備をしようとしているところだった。そのまま目を閉じ、6時に塚田さんが起き出す気配で目が覚める。塚田さんは電話でコーチングをするためにこの時間に起きると宣言していたのだ。そのまま僕は目を閉じ、7時半頃まで眠った。
で、朝飯である。前夜、飲み過ぎて意識が飛びそうになった僕は、早々に床に就き眠ってしまった。その前にひろっきいのおばさんが、
「明日の朝は、うちの山芋とろろ食べさせてやんべかな」
と言っていたのだ。その約束を果たしにおばさんがスーパーカブにまたがり颯爽と登場した。
「これがとろろ、これがみそ汁。この味噌は粒が残ってるやつで、これをとろろに混ぜて食べると旨いよ。食べてみれ。」
すり鉢のとろろはネットリ感が強く、すりこぎにまとわりついて離れない!
「あと、うちのひとめぼれを炊いてきたよ。あきたこまちよりもあたしは好きだね」
とおばさんは笑いながら炊飯ジャーを置いて帰っていった。なんと朝から2種類の米の食べ比べが出来るのだ!なんと贅沢なことだろう。
「さぁ、食べよう!」
夕顔とミョウガのみそ汁、里芋の茎のゴマ和え、とろろなどで飯を食べる。
おばさんの持ってきてくれたひとめぼれは、沸き立つような香りはない地味な印象だが、その落ち着いた風味は確実に飽きが来ないと約束されているような味だ。これがとろろにビッタリと合う。ご飯の香りが強すぎないため、とろろ芋の少しひねたような青臭い香りが消えないのだ。そして噛みしめると、限りなくふっくらネッチャリした食感が歯にまとわりつき、ご飯の甘みが拡がる。
「うっ うめぇなあ、、、 ひとめぼれってこんなに旨い米だったっけ?」
本当に首都圏で食べる米と全く個性の違いを感じる。粘着性と香りの立ち方があきらかに違うのだ。まぁ 新米ということが一番大きいのかも知れないが、、、
さらにあきたこまちを食べる。こちらはうって変わって特有の香りを持っている。
おばさんは「あきたこまちの香りは食べ続けると飽きる」というのだが、僕には好ましい香りだ。ひとめぼれが落ち着いた地味な女性像だとすれば、少しばかりおきゃんな少女という印象だろうか。ひろっきいのあきたこまちは、コシがやたらと強い。
「水加減が少なすぎたなぁ」
とひろっきいはいうが、それだけではなく米粒の外殻が見事なまでに強靱なのだ。これは美質だと思う。
ちなみにあきたこまちは特有の香りがあるので、とろろ飯には最適マッチとはいかなかった。しかしあきたこまちと塩気の強いがっこの取り合わせは実に最高。米の品種もTPOで選択肢は変わるのである。
こんなに旨い飯とおかずのおかげで、朝から4杯くっちまった!
さて農作業である。
朝方に雨が降り、それが上がって朝飯を食べる前は青空が拡がっていたのに、田に行こうかというタイミングでまた曇天になってきた。ポツポツと雨も降り始めたが、やめるわけにはいかない。強行軍で稲刈り鎌を持ち圃場へと向かう。
コンバインが田んぼに入いり、かつ旋回できるように、あらかじめ田の四隅を手で刈っておく。かつ、稲穂についた朝露を振り払う。これを「露払い」というわけだが、「つゆはらい」という、何気なく口にしている慣用句のルーツがこれだと思うと何やら不思議な気持ちだ。
この露払いは大切な工程で、これをしないと、多量の水分ですぐにコンバインが詰まってしまう。稲穂を少し揺らすだけで露が落ちるのである。
「じゃ山本さん、元気が余っていそうだから」
とおじさんがニコニコしながらロープの片方を僕に寄越す。田の端と端でロープを引っ張り合い、じりじりと横移動してロープで稲穂を揺らすのである。これが、腰を落としロープを思い切り引っ張る作業で、やたらと息が上がる。1反部弱の田を往復するとしばらく喋ることが出来ないほどにゼーハーしてしまうのだ。
露払いをした稲をコンバインが刈っていく。このコンバインという機械は、おそらく日本でしか成立しえない超精密機器だ。筋まきされた稲を吸い込み、先端の穂の部分のみをきちんと脱穀し、藁は排出していく。芸術的な働きをするが、それだけに500万円を超える超高価な機械なのだ。これを農家一軒が一台持っているあたりが、この国のおかしなところなのだが、、、
4枚ほど小さな田の稲を刈っている最中に、また雨が降ってきた。しばらく止みそうにない。
「しょうがない、今日はこれで切り上げましょう!」
とひろっきいがにこやかに宣言する。残念だが、お天道様には適わない。現代人がこの言葉を実感するのは滅多にないコトだと思うが、作物を作ってみればすぐに分かると思う。そう、人間がコントロールできない天気という存在によって右往左往するのが農業なのだ。僕の晴れ男ぶりも上手く効かずモウシワケナイな、ひろっきい。
伊藤家に戻ると、なんとなんとすごいことになっていた。
「きりたんぽの準備さしておいだから」
とお母さんがカンカンの炭火にきりたんぽをかざし、コンガリと焼いている。
これ、車庫に即席で作った囲炉裏端なのだ。これに、太い竹串や菜箸に潰した米を固め、きりたんぽに整形したのをブスッと刺して焼いている。
その脇には薪ストーブがあり、その上にはお釜が載っている。蓋をずらしてみると、醤油色の出汁がグツグツといい香りを漂わせている。
「この中にきりたんぽさ入れて煮て、少し煮くずれた頃がまた旨いんだ」
なんと、この囲炉裏端はひろっきいのお母さんが即席で作ったものだった。
作ろうと思った時に草木灰がこんなにストックしてあるのもスゴイと思うが、我々東京組をもてなすために囲炉裏まで作ってくださる皆さんの思いに、一同じんと来てしまった。
「さ、帰りの飛行機の時間もあるから食べて食べて」
と、今回最後の宴会が始まる。またもや広間に数々の料理が並び、昨日以上の人数が机に着く。この家の長となったひろっきいの音頭で乾杯となった。
「えー 東京から来てくださった皆さん、本当にどうもありがとうございました。うちはナンにももてなしはできませんが、いつもここで米を作ってますので、またいつでも遊びに来て、そして手伝ってください。お疲れ様でした!」
ひろっきいの背負っているものは大きい。しかし、それを大家族が温かく後押ししている。きっと、総合格闘技のPRIDE-GPで小川直也が感じた「後押し」もこうしたものだったのだろう。しかし小川直也にないものがひろっきいにはある。それは凄まじい光を放射する「笑顔」である。
典型的秋田顔二枚目のひろっきいがビカッと笑うのを観たら、どんな女性でも惚れてしまうのではないだろうか、と思う。
きりたんぽ汁は実に滋味溢れるものだった。比内地鶏のスープは濃く深く旨味の強い出汁だった。
「この辺じゃ、芹(せり)は春先だけじゃなくて、今頃も旨いんだよ、特にうちのばあちゃんの作る芹が最高なんだよ」
というとおり、汁に入っている芹の風味は最高にはんなりとしている。それにすこし崩れながら入っているきりたんぽが、こげ目の香りをプンとさせ、ネッチリ感を出しながら噛みきられる。
「これ、きりたんぽに甘味噌を塗ったやつ」
と、みつこおばちゃんが焼いてくれた味噌漬けきりたんぽがまた絶品中の絶品なのだ!甘めの味噌が少しこげて、固めのきりたんぽのカリカリ感と相まって実に最高!
一本一合ちかい米を使っているのを一本半平らげてしまった。その上汁に入ったきりたんぽを一本。そして最後にあきたこまちのご飯を一膳食べ、もう何も入らない。秋田の温かい大家族の味、それはやはり米、稲作をベースとした文化だった。
「ごちそうさまでした!」
御礼を言い、車に乗り込むと、玄関に皆さんが送りに来てくださる。温かい微笑みに見送られながら、ひろっきいの運転で空港へ向かった。
まだ大内町ではひろっきいが稲刈りから籾摺り(もみすり)までの工程をしている。遠く東京から、秋田の空が晴れ間になることを祈っている。それと、ひろっきいの今年の新米が特に旨いことは僕の保証付きだ。今年はまだミルキークイーンを食べていないが、期待できることは間違いない。ひろっきい米の通販ページをここに紹介しておく。
ひろっきい、ご家族の皆様、本当に温かいもてなしをどうもありがとうございました!