市内に戻り、レンタカーを返すと丁度、卓から連絡がきた。行きと同じパレットタウンくもじで卓とパパ様と落ち合い、タクシーで繁華街を抜ける。夕暮れ時の薄闇の中、小さく品の良い間口の店構えが見えてきた。
「この看板の字、うちの父が書いたんだよ。」
と卓が紹介する横で、川端パパは照れくさそうに斜に向きながらも、この石盤も僕の字なんだよ、と解説してくれた。
この店が、琉球料理の専門家として名高い、山本彩香さんの店だ。
■琉球料理乃 山本彩香
(今回、住所等は記しません。)
実は僕はこの沖縄行きに先立ち、卓から「事前勉強しておいてね」ということで、豆腐ようを手渡された。豆腐ようはご存じだろうか?水切りした豆腐を塩蔵し、麹や泡盛と一緒に漬け込んで発酵させた食べ物だ。中国の調味料である腐乳(フールー)に似ているもので、気の利いた居酒屋で食べることが出来る。卓からもらってなにげなくキュウリと一緒に食べたところ、そのあまりの上品さ、繊細さに驚愕してしまった!
「この店を主宰する山本彩香さんと僕の父は30年来のお付き合いでね。家族ぐるみで仲良くさせてもらっているんだ。」
と聴いた時には、良心的な小さな小料理屋さんなのかと思っていたのだが、とんでもない話であった! 山本彩香さんは、伝統の琉球料理を継承し、また新しい世の流れの中に対応づけをし、琉球料理の現在を創り出している沖縄料理界のキーパーソンだったのだ!まったく自分の不見識を恥じるばかりである。
店内に入ると、数人で調理場と対面できる印象的なカウンタではなく、座敷に通して頂く。山本さんはいらっしゃらないようだが、若いスタッフが対応してくださる。この若いスタッフさん達の所作がびしっと決まっており、押しつけがましくない態度で、素晴らしい。
「そりゃぁそうだ。山本さんはね、琉球舞踊の第一人者だったんだよ。」
パパが教えてくれたところによれば、山本彩香さんは実は琉球舞踊家として名声を獲得した人だ。沖縄タイムス芸術選の大賞を受賞するなど、その活躍は華々しかったらしい。それがある時、「このままでは琉球料理はダメになる」という実感を得、以来、料理の師である母君と料理店を出し、今に至るのだという。この辺は、他のWebでも検索すれば出てくるので、探してみて欲しい。
その彩香さんの舞踊で培われた居住まい、所作が、店のスタッフにも伝承されているのだろう。
「君は内地から働きに来て居るんだよね?」
とパパ様がスタッフさんに訊くと、
「はい、実は広島から来ています。」
とのこと。他にも、横浜から修行に来ている人もいるということだ。この一件からも、この店が沖縄料理の梁山泊的存在であることがうかがい知れる。
イラブー汁で感動をした夜に、また琉球の伝統料理をいただくことができる。これも僥倖というものである。
「さあ、泡盛を飲みながらまずこれだね。」
パパが手ずから水割りを作ってくれた後、運ばれてきたのがこの豆腐ようだ。
■自家製豆腐よう
麹の色だろうか、鮮やかな紅色が皿に一点の存在感を醸す。楊枝で小さく削り、舌の上に載せると、ネットリとした食感に、泡盛がさらに発酵したような濃い芳香と、チーズの数倍もありそうな旨味が拡がる。しかし、とても濃い味と香りなのに、なぜか上品だ。それが市販の豆腐ようと全く違うところだろ感ずる。
「ここの豆腐ようを食べた人が空港に売ってるのをお土産に買って帰ってね、『全然違うじゃないですか!』て文句を言われたことがあったね。当たり前だよ。ここの豆腐よう以上のものはみたことがない。だって大量生産じゃないんだから。」
後に伺うことになった彩香さんによれば、「泡盛と塩の抜き方を少しアレンジしてある。昔は冷蔵ができなかったから塩分が強かったけど、冷蔵庫が普及したことによって、豆腐ようの造り方、味も変えられるようになったのね」
とのことだ。そう、これが「現在」というものだ。時代と技術により、料理は変わっていくものなのだ。その一つの形が、この洗練の極みにある豆腐ようのなかに具現化されている。
「はい、ゴーヤーのしりしりです。」
■ゴーヤーのしりしり
「しりしり」とは、おろし金ですり下ろす音だそうだ。本州では「すりすり」だろうか。生のごーやーをおろし金で擂り、柑橘などのジュースを混ぜたものだ。口に含むと、苦い!しかしその苦さは柔らかで爽やかな苦みだ。苦みは胃液を増進し、味覚をリフレッシュさせる。これを最初の段階に配するあたり、これ以後の味世界に没入させるための絶妙なギミックである。
「おろし金で優しく擦ることで、細胞が壊れず美味しくなるんです」
とスタッフさんが説明してくれた。そういう「気持ち」がこもったドリンクだった。
■ミヌダル
いかにも琉球料理!というものが出てきた。たーむ(田芋)の揚げ物は、沖縄の田んぼでとれる芋で、様々な料理に使われる。これを素揚げにしたものだが、甘くネットリとした、慈愛に満ちた味だ。ゴーヤの天ぷらは、苦みの集中するワタの部分を取らずに揚げ、「粟国の塩」を添えている。口に運ぶと、アクやえぐみなど様々な味が拡がる。
この豚肉料理がミヌダルだ。豚肉の上に黒ゴマのペーストをのせて蒸してある。豚の味つけがシンプルな分、蒸し加減でさらに濃厚になったゴマの風味が際だつ。この料理、ゴマのペーストにしろ、豚肉にしろ、強い個性と旨味を内包する素材なのに、味の印象は非常に奥ゆかしさを感じる淡いものだ。
これらを食べて合点がいった。彩香さんは、非常に複雑性の味世界を構築する人だ。味覚とは、その振幅の広さで価値が決まる。「甘い」とか「辛い」といった、快楽中枢を直接刺激するだけの単純な要素では味は決まらない。サンマや鮎の塩焼きを食べる際に、あの苦みのある肝が入ることでどれだけ旨味の世界が拡がるかはご存じだろう。しかし、肝だけを取り出してみれば、苦いだけで食べられるものではない。そう、「美味しくない要素」を巧妙に絡ませることで、全く予期せぬ旨味の地平が拓かれていくのである。こうした美味しさは、生来インプットされたものではない。学習し、鍛え込んでいかなければ獲得できない、より高次の味覚である。この高次の感覚を磨き、楽しむことが日本の料理の「粋」なのではなかったか。ファーストフードの氾濫は、この高次の感覚を奪うものであり、そこに日本の食を巡る危機があるが、どうやら沖縄も同じ問題に直面しているのだろう。
彩香さんの料理は、この問題に鮮やかな解答を提示している。おそらく彩香さんの店でこの皿を食べることで、目の前を色彩が走るはずだ。食べてみれば分かる。
■ヤマンアーサ入りゆし豆腐
ゆし豆腐という、固めていないほろほろの豆腐にアーサという海藻とヤマン(山芋)を混ぜたものを載せ、カツオだしを張った料理だ。沖縄の豆腐は、大豆をすりつぶし呉汁にした後、生のままで絞りおからを取る。本州では煮てから絞るところが微妙に違う。彩香さんのゆし豆腐は、しっかりと堅い沖縄の豆腐からは想像もつかないふんわりとした口当たりだった。アーサという海藻は磯臭さが無く香りのみが残るものだった。
■イラブチャーの酢みそがけ
「イラブチャー(ブダイ)です。酢みそをかけて味わって下さい。」
これは、キッペイが努めるブセナリゾートの海底で沢山みることのできたブダイの刺身だ。
「よく沖縄の魚は刺身で食えない、なんていうヤツが居るけど、そう言うヤツは旨い店を知らないだけなんだよ。食べればわかるさ」
とパパが言うように、みただけで匂い立つ、いかにも旨味の濃そうな肉である。これに酢みそをタップリとかけていただく。
刺身の切り口は上質の蕎麦の角のごとく立っており、口に含むとなめらかに滑る。酢みその塩梅も最高である。沖縄の暖かい気候ではやや甘めの酢みそになるかと思ったが、さすがに抑制の利いた酢みそで、魚をきりっと食べさせる、背筋の伸びた味だ。
■すーねー(あえもの)
本州の白和えと同じ系統の味だが、じーまーみ(落花生)の風味がする。肝心の青菜がなんという野菜かを訊き損じてしまったのでわからないのが残念だ。フダンソウなどをよく使うらしい。
■(名前失念。)
これは、ネギの一種でイカ(クブシミー)の燻製を巻き、酢みそをかけたものだ。本州でも「野蒜(のびる)のぐるぐる」と言ってよく作るが、クブシミーのしっかりした歯応えがネギのジャッキリ感を引き立てる。クブシミーは鹿児島ではコブシメと呼ぶ大きくなる甲イカだ。
沖縄ではイカが実に旨いのだが、それはこのクブシミーのような味の濃い甲イカが沢山獲れるからだろう。
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と、ここで山本彩香さんその人が、小柄な身体から明るいエネルギーを放散しながら部屋に入ってきたのであった。
「はい、いらっしゃいませ!」
「卓の東京の友達が来たから連れてきたよ。」
「あらまあようこそ、、、」
本当に強いエネルギーを感じるが、とても優しい。そして、とても高貴な誇り高さを感じる。僕はこの店をくぐるまで、ちょっと小粋な小料理屋に連れて行ってもらえるんだろうという程度にしか考えていなかったのだが、全く持ってここまでの料理をいただく中で、居住まいが正されてしまったのだ。そんな僕や加賀谷に対しても、極めて優しく彩香さんは微笑みかけてくれたのであった。
「私はねぇ 卓ちゃんが生まれる前から知ってるのよ!」
と、卓も全く頭が上がらない様子だ。
そうしている内に運ばれてきた料理に、卓が強く反応している。
「やまけん、これ、この料理が一番のお奨めなんだ!」
■どぅるわかしー
「これはね、どぅるわかしーっていう料理なんだけどね。田芋を潰して、色んな具を混ぜたもの。どこに行っても食べられるかもしれないけど、どこにいってもきっと美味しいものには出会えないわね。これは、私が母から受け継いだ料理なの。」
マッシュされた田芋は、しっかりとした硬めの和え食感だ。これに豚バラ、シイタケ、キクラゲ、カステラかまぼこ、グリンピースなどの具を混ぜ込んで作られる。出汁の旨味をタップリと含んだ芋の甘さとそれぞれの具の持ち味と香りが合わさり、懐かしいような味だ。沖縄独特のかまぼこの食感がクニュクニュと楽しい。卓がいかにも旨そうに食べるのが、よっくわかった。
■そーみんの豆腐よう和え
「これはね、豆腐ようを作る中でどうしても形が崩れちゃったりしたものをどうしようかと思って、ささっと素麺に和えてみたらすごく美味しかったから、出すことにしたのよ!」
あの超絶の豆腐ようをあえごろもにしたそーみんが旨くないはずがない!泡盛の香りがふわっと軽く鼻を突くのが、大人の味わいになっている。
「豆腐よう、もっと食べたいでしょ、おかわりもってらっしゃい」
と僕らは豆腐ようを2つたべさせていただいた。ラッキーである。
「さ、これがらふてーよ。」
■らふてー
でた!沖縄料理の代表的存在だ。僕はこれまでらふてーは醤油ベースで味付けするものだと思っていたが、なんと彩香さんのらふてーは、白みそがベースになっている。そのせいか、非常に上品な味わいなのだ。
長時間煮込まれているはずだが、肉の繊維感はしっかりとのこっている。じーまーみ(落花生)をすりつぶしたものが含まれているということで、そのコクがじんわりと味濃いものにしている。
ちなみに彩香さんによれば、「らふてぃー」という表記は間違いで、正しくは「らふてー」だそうだ。気をつけよう!
■じーまーみ豆腐
じーまーみ豆腐は、落花生で作るゴマ豆腐のようなものだと思うのだが、友人の志乃ちゃんから、どこかでレシピを教えてもらってきて欲しい、と頼まれていた。
「彩香さん、じーまーみ豆腐の造り方を教えて欲しいっていう友人がいるんですが、、、」
と僕が恐る恐る切り出したところ、
「あら、いいわよ教えてあげる!」
と、そのまま口述筆記で教えて教えて下さった!
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆①落花生は生のものを使う。殻から出して太陽の光で干し、薄皮をパリパリに乾燥させたら手で揉んで薄皮を取り除く。まだ皮が残るので、ぬるま湯に漬けて最後まで皮を取る。
②豆をふやかしたらミキサーにかける。この時ピーナッツ3カップに水は6カップ。そこに芋のでん粉を1カップ加える。吉野葛などを使うと沖縄の味がでないので注意。必ず芋のでん粉を使うこと。
③②を木綿の布などで漉す。そうしてできた呉汁を鍋に入れ、中火にかける。ここからずっと木べらで掻き混ぜ続ける。電話が鳴っても取らないこと!熱が廻ったら弱火。40分間練り続ける。
④へらで鍋底に「の」の字を書いた時に、鍋底が見えるくらいの固さになったら火から下ろす。バットに流し入れ、上面を綺麗に平らにしたら水を張る。不安な人はガーゼを敷いて、その上から水を張ること。これを冷蔵庫にいれて固めて、できあがり。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
彩香さんのじーまーみ豆腐は、これがまた奥ゆかしい味。芋のでん粉の舌触り、粒状感が少し残るのが、オバアの味という感じである。洗練と土着の狭間の味わいがした。
楽しく話をさせて頂きながら加賀谷をみると、いつの間にかビデオカメラを回している!一瞬、彩香さんのお気に触れないか気になったが、彼女もそれを分かった上で何も言わず微笑んで話をして下さっている。卓のblogを観ると、実はこの時に卓も「大丈夫かな」と思っていたそうだが、彩香さんは我々のような沖縄への闖入者を受け入れて下さったようである。
しかし!
「私はね、気に入らない人は絶対に店に入れたくないの。だから一度ご来店いただいて、嫌な人だと思ったら、次から予約はとらせないのよ。」
これは本当のことらしい。僕と加賀谷で目を見合わせてしまった。
「大丈夫、うちの父さん経由で予約とればね。」
「あら、あなた達ならいいわよぉ。また来なさい」
前にも軽く書いたが、卓のパパ様は、沖縄のテレビ局の重鎮だったキャリアを持つ。今の僕らには実感がわかないのだが、やはりテレビ黎明期から隆盛期にかけて、メディアとしてのテレビの力は絶大だったのだ。その時代、沖縄で包装される番組を作る仕掛け側にいたパパ様の人脈はとてつもないものであったことだろう。
「もうね、川端さんには何から何まで相談に乗ってもらったのよ、、、」
と彩香さんが言う。彩香さんとパパは、実にいい大人の関係を育んでこられたのが、傍目からも分かる。我々余人には入り込む余地のない信頼関係が、そこにあった。
彩香さんの店の看板に始まり、メニュー、お土産用の豆腐ようの箱書きなど、至る所にパパの字がある。パパは書家という訳ではないらしいが、全くの我流で独自のスタイルを創り出した人だ。
「そういえば新しいお品書きも書いてもらわなくちゃ」
と彩香さんのお願いを微笑みながら「うん、どういうのにしようか」と乗っているパパ様はムチャクチャに余裕のあるオトナであった。卓よ、いい親父を持ったなぁ。
「あ、やまけん、これがまた最高に旨いんだよ!」
■とぅんふぁん
運ばれてきたのは、混ぜご飯のようなものだ。てっきりじゅうしいかと思ったら違った。なんとこれに、カツオだしを張るのだった!
ダシを張り、蓋を再度閉めてしばらく蒸らす。彩香さんがお話をされているのでずっと待っていたら、
「あら、もういいわよ。食べて食べて!」
と言われる。待ってましたと開けると、豚肉の脂がきらきらと溶け出した出汁から佳いい香りがする。
さらさらと啜ると、しっかりとした味付けのご飯がまたカツオだしの旨味を吸い、旨い!
「うーん おかわり食べたーい」と言いそうになるのをこらえる。彩香さんがずっとハイテンションでお話しされていなければつい言ってしまったかもしれん、、、
■しーくーびー
タピオカを浮かべた、ニッキのような香りのする甘い汁が何から出来ているのかは訊き損じた。甘さをすったタピオカが優しくしたを潤かす。
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「おいヤマケンちゃん、ここのご飯はオレがおごってあげるけど、彩香さんの本は自分で買いなさい。本だけは、自分でお金を出して買わなければいけません。」
とパパが言う。そう、本とは、この山本彩香さんが新聞に連載をしていた沖縄料理の話をまとめた「てぃーあんだ」という本のことだ。
■「てぃ-あんだ」 山本彩香著 沖縄タイムス社刊
http://www.okinawatimes.co.jp/aji/
実に丁寧な作りの、いい本だ。上記リンク先である沖縄タイムス社のWebで内容をみることが出来るようになってはいるが、これは絶対に買い求めるべき本である。
この本には、本日ぼくが食べた料理の作り方ががほとんど載っている。それは彼女のポリシーからくるものだ。
「私はね、沖縄料理を後世に受け継いで欲しい。だから、テレビ取材なんかでもぜーんぶ作り方を教えるの。前、イラブーを食べにいきたいって連絡が来た時なんか、『あら家で作れるわよ、ぜひやってみなさい』って言っちゃったのよ。でもその方が沖縄のためでしょう?」
そんな彼女の本には、作り方や調味料については載っているが、「大さじ一杯」とかそういう記述はない。
「自分で味を見て、自分の味を作って欲しい」
という気持ちがそうさせているのだ。
で、この本にぜひサインを書いて欲しいと思ったのだが、
「そんなのハズカシイからダメよ、だめ。」
と、さっさと封筒に入れて手渡されてしまった。残念!考えてみれば、卓パパという書家の前で筆をもっていただこうとした僕に愚がある。人間修養が全く足りなかったことを恥じるばかりだ。
もちろん我々は最後の客で、スタッフの人たちも片づけをしながらパパと談笑をしている。彩香さんが集めた沖縄の伝統的な布、そして店内にある珍しい置物などを楽しみながらタクシーを待つ。
「ヤマケンちゃんまた食べにいらっしゃい!」
とお言葉をかけて頂き、感動しながら店を出る。
この日、僕は沖縄のいくつかの真実を味わうことが出来た。イラブー汁に驚倒し、山本彩香さんの創り上げた世界観のすごみを感じた。しかしそれらに共通して、とにかく温かな光を感じた。これのじんわりと輝く温かい光こそが沖縄の魂なのだろう。いいものを押し頂いてしまった。
卓パパ! 素晴らしいご馳走を本当にどうもありがとうございました。
満ち足りた気持ちで床につく。明日は、晴れていれば慶良間の海岸でBBQパーティーなのである。
最後に一言。この店については、連絡先などはここには記載しない。本当に食べることに真摯な人でないと、行ってはいけない気がするからだ。読者の方も運良くたどり着けた場合は、心を鎮めてしっかりと味わい、感想をきちんと伝えるといいと思う。