やまけんの出張食い倒れ日記

和歌山が世界に誇る発酵食品 「なれ寿司」7種を食べ比べた県外人は俺ぐらいだろう。

narezushi.jpg 和歌山ラーメンには付き物の「早寿司」。これは、鯖(さば)の切り身を一口大の押し寿司にしたもので、和歌山のラーメン屋さんにはこれが山と積まれていて、客が会計時に食べた個数自己申告するという、おおらかなスタイルになっている。
 さてこの早寿司、何が「早い」のだろうか。名前には意味がある。早いの反対には遅いがある。そう、実はこれは対語だ。早寿司の対極には、「なれ寿司」があるのだ。

 「なれ」は「熟れ=熟成」の意を持つ。ご存知の方も多いだろうが、寿司とはもともと、魚を長期保存するために発酵させた食べ物であった。魚に塩をし、発酵を促進する米や麹などと一緒に漬け込み、乳酸発酵させたものだ。琵琶湖周辺の名物である「フナ寿司」もルーツは同じだ。

 さて和歌山県の「熟れ寿司」には、当然ながら鯖が使われる。鯖に塩をして下漬けする。これを、ぎゅうぎゅうに押し固めて空気を抜いた飯の上に乗せ、重石を載せて発酵させる。押し固めて重石を載せるのは、空気を出来るだけ抜いて嫌気性発酵させるためだ。この辺の詳しい事情は、僕が敬愛してやまない、東京農大の小泉武夫教授の著書を読んでいただきたい。彼は世界随一の熟れ寿司文化探検家である

 とにかくこうしてできた熟れ寿司は長期保存可能な食品となる。特徴はとてもわかりやすい。「におい」である。とにかく、初心者には手におえないにおいであると言ってよい。僕も発酵食品は大好きで、たいていのものは美味しく食べられる。けれども時々「こいつぁダメだ!」と唸るものに出会うこともある。
 けど、フナ寿司は大好きだし、熟れ寿司も大丈夫なはず、と思っていた。そう、何だかんだ講釈をたれたが、実はいままで手に入らなくて食べたことが無いのである。

 以前、和歌山の農業者さんたちに講演をさせていただいたことがある。その講演後、予算をやりくりして、みなさんがぼくに熟れ寿司を買ってくださると言う。もちろん所望したわけなんだが、、、車を飛ばして老舗といわれるところに行くと、その普通の民家のような店のおっちゃんが「熟れ寿司はちょうど切れてて、早寿司しかない」という。そのときは仕方が無いので早寿司を20本買い求め、電車の中で5本食べ、家で10本食べ、会社に5本だけ「お土産だよぉ」と言って持っていった。

 そんなわけで今回初めて食べたのだ!

 食べさせてくださったのは、名前はいえないが僕の和歌山で最大級に敬愛する友人T氏である。このT氏が、熟れ寿司を食べたいという僕のリクエストを訊いて、なんと5種類の熟れ寿司を用意してくれたのである!買い求めに行ってくれたのは彼の美しい嫁はんである。

みよ!和歌山を代表する(と思われる)熟れ寿司、早寿司のラインナップである!

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この中で本当の熟れ寿司は3本。有名な「弥助寿司」と「丸正(だったかな?)」そして「八つ房」のものである。その他は早寿司だ。

これらの熟れ寿司&はや寿司を買いに行った奥さんがコロコロと笑いながら言う。

「お店の人がね、『あのね、これはとぉっても臭くて、奥さんみたいな若い女の子はよう食べられんと思うよ』って言うんですよぉ。自分が売ってる商品なのにねぇ、、、」

そう、売り込みかけるどころか「大丈夫?ほんまに大丈夫?」と訊かれまくったという代物なのだ。面白すぎる!実はこの熟れ寿司、和歌山で出会う人たちに片っ端から聞いても、20代の人たちは一様に「食べたこと無いんです」という。T氏はかろうじて、おばあちゃんちで作っているのを食べていたそうだが、「やっぱり臭かったですよ」とのことだ。ますます興味深い。

さて何はともあれ食べてみたい。3種の「熟れ」を切ってみる。「弥助」の熟れ寿司を切ろうとビニールをはずす。店の人が「におうからねぇ」と厳重にラップを巻いてくれたそうだ。紙の包みをとると、アセという葉に包まれた棒寿司が出てくる。
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もうこの時点で、あたりには異臭が漂っている。それもそのはずで、空気に触れやすい面は発酵が進んでこんなドロドロ状態である。
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 あたりに漂うのは、匂いというより「臭い」という感じで称したほうがいいだろう。本当に臭い。まさに異臭である。友人T氏は「くっさぁ~」と避難している。これを奥さんが全メーカー分一口大に切り、皿に取り分ける。
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おそらくこんな感じで多種の熟れ寿司、はや寿司を食べ比べると言うのは、和歌山に居てもないことだろうなぁ。なんという贅沢か。

 さて ソファにすわり、T氏と共に思い切って口に運ぶ。瞬間、未曾有の体験が僕を襲った。

すんげぇ 臭いである。

強烈の一言だ。

この瞬間のT氏を写した2枚の写真を見ればそのショックはわかると思う。

■これが、口に入れた瞬間。
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■臭いが鼻に回った瞬間。
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きっとフナ寿司と同じようなすっぱい発酵なんだろうと思ったのだが、淡水魚のフナと海の鯖とでは、動物性蛋白のありようが全く違うらしい。鯖はむちゃくちゃに複雑にしてストロングな臭いを発生させると見える。

しかし、、、臭い臭いというだけではない。非常に高度にして複雑な味がある。いや、まさしくこれは旨い、と3種の熟れを食べて思うようになった。
弥助寿司の熟れは、かなり発酵がキツイ。鯖の切り身を下に当てるとピリっとやばそうな刺激がくるくらいに熟れているのだ!対して八つ房の熟れは非常に上品。発酵臭はするものの、食べやすい。丸正はその中庸の位置か。

ここでびっくりしたことがある。熟れ3種を食べた後に、それぞれのメーカーの早寿司を食べたのだ。ゆっくりかんだ瞬間、T氏と僕は顔を見合わせた。

「味が無い。」

 そう、あまりにストロングな味を咀嚼していたためか、舌の感覚のダイナミックレンジが極限まで拡がった状態が出来上がったのだ。複雑な旨味の織り成す技だ。で、その直後に、発酵を経ていない、シンプルな味付けの早寿司を食べたものだから、味の要素が感じにくくなってしまったのだ。これはT氏も同意見。てことは、やっぱり熟れ寿司って豪華なものなのだ!
 いや本当にびっくりした。

 この熟れ寿司&早寿司、全部ぼくが持ち帰りさせていただいた。その後1週間、毎日食べました。もうこの味、香りに馴れてしまって、刺激がすごく心地よい。ビギナーには進められないが、、、

 もし和歌山を旅することがあったら、ぜひ街の人に聞いて熟れ寿司を買って帰ってみて欲しい。すぐに月と同じくらいの距離に飛び出せることを請合おう。でも、本当に美味しいよ!こういう複雑な旨味を、たまには舌に刺激として与えないと、正常にして繊細な味覚は出来ないと思う。とても高度な味わいだと、この熟れ寿司については断定したいと思う。