遺伝子組み換えがついに動物に適用される時代に。TPPも絡めて、これから僕らが「気持ち悪いから拒否する」権利は守られるのだろうかと不安に思う。

2013年11月12日 from 農業の問題

■米国でついに遺伝子組み換えの鮭を市場投入農作物から動物への拡大に欧州は大反発
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39139?page=3

友人が教えてくれた記事。かねてから話は出ていたが、発売間近なんですね。こうした遺伝子組み換えものに対して政治的に寛容なのがアメリカ、それを拒否するのがEUという構図はこれまでもずっとあった。

しかし、先週の神川町でのシンポジウムで出会ったアメリカのフードアクティビス達は例外なく「GMOは危険だと思うし、モンサントを代表とする多国籍企業群がやろうとしていることに反対する」と話していた。それもごくごく普通のこととして。だから、アメリカの総論が遺伝子組み換えに寛容であるということではなく、政治的に外に出ているものに関しては、ということで認識した方がいいようだ。

これからまた科学を論拠とするジャーナリスト達が「遺伝子組み換え技術には何ら問題ないし、これを受け入れないことは世界的な飢餓に対して無責任だ」という論調で、いかにも遺伝子組み換え技術を否定することが道徳的でないという言い方をしてくるだろう。

でも、ここでハッキリと言っておくけれども、「なんとなく気持ち悪い」と感じることは、もうそれだけで立派に否定・反対をする論拠としてよいものだと僕は考える。

第一、飢餓に悩む人達を根本的に救うのは遺伝子組み換え作物だけではなく、それ以前の社会全体の富の再分配の話であるはずだ。

また科学的に安全だといっていても、それは「その時点で科学界で妥当とされていること」にすぎないことは明白だ。これまで科学が、どんなに人々を裏切ってきたたことか。先日FDAが「安全とはいえない」と仮判断を下したマーガリンが、80年代には「健康によい」と言われていたことを忘れてはならない。そう言うと「あの頃たくさん食べていたけど、ちゃんと生きてるよ」という人もいるだろう(僕も食べていたけど生きてる)。しかし、もし食べていなければもっと豊かな身体生活を送っていた可能性を否定することはできないのだ。科学を論拠とするにはそこからさらにさじ加減が必要であると考える。

そして僕は相変わらず遺伝子組み換え技術を気持ち悪く思う。反対しているEUは立派だ。もちろんそこには政治的な理由も多々あるのだけれども、日本が同調すべきはそちらでしょう。

ちなみに、この記事にある遺伝子組み換え鮭には、身体の大きなキングサーモンの遺伝子にから成長ホルモン遺伝子を導入していると書いている。成長ホルモンといえば、いま日本のレストランや中食などで大攻勢をかけてきているUSビーフにはほぼもれなく投与されている。豚にも、乳牛にもだ。すでに日本にそうした食品は入ってきている。

ここのところの誤表示・偽装問題で、この辺がきちんと表示されるようになり、きちんと選択できるようになるといいと思うのだが、TPPの中身次第では「食品表示にそういう詳しいことを書くのは貿易障壁だ」とみなされて、表示内容が規制される恐れもある。そうしたことを含め、相変わらず怖い綱渡りが続いている今日この頃だ。