2010年6月23日 from 日本の畜産を考える
朝、起きると嫁さんから「さちを今から母牛にするってできないの?」と言われる。これまで何回も自問自答し、そのたびに「いやちゃんと食べるサイクルまでやって初めて畜産を理解できる」と思って否定してきたこと。けど、やっぱり最後の最後までぐらっとくる。
さちが女の子で産まれてきたから、ここまで苦しむのかもしれない。オス牛として産まれてくれば、去勢されて肉になる以外の人生(牛生)はないわけだから、こんなにも苦しい思いはしなかったかもしれないのだ。さちには、子を取るための繁殖用雌牛になるという選択肢もあった。その選択肢をふさいだのはこの僕自身なのである。
二戸に到着し、二戸支庁浄法寺支所の畜産担当・杉澤君と落ち合って、解体後の肉を扱ってくれる山長ミートへ。
その道すがら、にやにやしながら「報告することがあるんですけどね。」という。
実は数日前に、僕が所有する母牛「ひつじぐも」(さちの母親ね)についての調査が県の方から入ったというのだ。
「県の担当者から照会依頼がきた2件のうちの一件がやまけんちゃんの「ひつじぐも」でした。何でかって聴いたら、ものすごい育種価が高い血統だというんですよ!」
育種価とは、牛が遺伝的に受け継いだ「よい肉を造る能力」といっていい。家畜の質の多くが血統で決まるわけだが、餌を食べて肉を多く造り出す能力、ロースの芯の大きさ、バラ肉の厚み、皮下脂肪の厚み、そして霜降りの度合いなどを総合的に分析して、高い能力を持っている牛を選抜して種牛にしていくわけだ。それを判断するための指標が育種価だ。
僕の「ひつじぐも」はその育種価がやけに高いらしい。実は、ある種牛の育種価が抜群に高いということがわかったのだが、その遺伝子を持つ牛で生きているのはひつじぐもとあと一頭しかいないらしい。それで調査がきたということなのだ。
「やっぱり、やまけんちゃんの母牛は、さちを最初に育てるときに乳房がつまっちゃうくらいに乳量が多かったり、生まれてきた仔牛がみんないい体格だったりしたから、母牛としての能力は高いと思ってたんだよね。」
僕が短角牛オーナーになる際にひつじぐもを選んでくれたのは杉澤君だ。はからずも彼の牛の潜在能力をはかる眼力が証明されたとも言えよう。
さて育種価が高いということは、これから出荷するさちの肉もかなり期待できるということだ。ただしその期待というのは、「日本の牛肉の格付け上で高得点となうる可能性」だ。もしかすると、けっこう霜降りかもしれないということなのである。
うーん
サシはあんまり入らなくていいぞ、さち。
「今回、肥育をした漆原畜産から山長ミートが契約で買い取り、それをスターゼン三戸工場で処理してもらうという流れになるんです。だから、山長ミートさんのほうでトレーサビリティの確認書類を提出する必要があるんで、判子もらいにいきますね」
肉牛の巡るルートは複雑だ。ものの流れはふつうこうなる。
繁殖農家→肥育農家→と畜場→買う人(精肉業者など)
ただし今回は、肥育農家である漆原さんと買う人である山長ミートが契約取引を行っているからだろう、山長ミートがスターゼンへ出荷するという形になる。
いつもお会いする専務に加え、久しぶりに社長もいらっしゃった。
山長ミートの社長室には、古い写真が飾られている。
昭和初期くらいだろうか、短角牛のセリを行っている風景だ。この頃は野外で行われていたんだなぁ、、、
これがスターゼンに提出する生産履歴の申告書。僕の名前が書いてある! ああ、とうとうなんだなぁ、、、と思いながら、さちを世話してくれている漆原牧場へと向かう。
「さっちゃんにお別れしなよ」
牛舎にはいると、一番こちら側にさちがいた。
立派な体躯。オスの去勢牛にくらべれば一回り小型だけれども、肉の美味しさはメスの方がまさると言われているから、それでいいんだ。
ここからの移動はすべて角と顔に紐をかけて、人力で引っ張っていくことになる。そのための紐をかける。あらかじめ引っ張れば輪が締まるようにした紐を棒きれにひっかけて角にいれていく。
一度目はうまく引っかからなかったが、二度目に成功。鉄柱に結わえて、口全体も縛る。
さちが動揺しているのがわかる。なにかがいつもと違うのを察知しているのだろう。
トラックが農場へ入ってくる音がする。JAにお願いしていた家畜運搬車が到着したのだ。
JAの担当者さんも含め三人で引っ張るがなかなかでてくれない(それはそうだ)。 ここから車に移すまで写真、ありません。なぜなら僕も紐を引いたから。僕自身が手を使わないと意味がないからね。
さちが踏ん張って動かないのを、ほい、ほいと声をかけ、ぴしぴし叩きながら少しずつ歩かせる。10分くらいかかったろう。ロープを腕に巻き付けて曳くけど、全く動かない。
そこで僕の口から出た言葉。
「さち、大丈夫だからな、大丈夫。」
と言った瞬間、はっとした。いや、大丈夫じゃない。これはさちにとって死出の旅なのだ。それなのに「大丈夫だ」なんて声をかけて俺は何を言ってるんだろう。
そう、0.000001秒くらいの間に葛藤。けれども紐をひく手は休められない。なんとか車まで行くと、以外にすんなりとさちはステップを登っていった。
家畜運搬車にはおがくずが敷かれている。口の紐をかなり短く鉄柱に縛っているので、さちは足をたたんで寝ることはできない。おそらく立っているほうが安定するのだろうが、申し訳なく思ってしまう。
さちはこれまで、僕が会いに行ってもプイと向こうを向いていたものだけども、いまこの瞬間、ジーッと僕を見ている。自分がどうなるのかを訊いている目だ。ごめんな、俺はお前を畜場に連れて行くんだ。そう思うとなんとも言いようがない気持ちになる。これは言語化できない重さを持った感情だ。
そんな僕を見て杉澤君がちょっと笑いながら言う。
「まあ、最初にさちが産まれたときに「どうする?母牛に回す?」って訊いたときにやまけんちゃんが「いや、食べないと畜産のサイクルを理解することにならないから、肉牛にする」って言ったんだもんな。実感してるだろ?」
うん、僕はまさしく実感している。
あまり役に立っていないらしい番犬ちゃん。この子は、経済動物ではないのだ。
さて、出発だ!
今回のと畜・解体処理は青森県の三戸市にあるスターゼンにお願いした。県を超えるとはいっても、実は三戸は二戸の隣だから、地理的にはぜんぜん近い。30分でついてしまう。
しかも、スターゼンは内蔵肉を希望すれば、洗浄代のみで引き取ることができるのだ。「え?それ当然じゃないの?」という人もいるだろうが、出荷者が内臓肉を持って帰ることができると畜場は意外に少ない。岩手県内にある大手の処理場があるのだけれども、そこはなんと3頭出荷したら一頭分だけ戻しますよというやり方で、非常によろしくない。従って僕はそこには一切出すつもりがない。
スターゼンに着いた。
なお、今回はスターゼンにと畜・解体のみをお願いしている。食肉処理をする施設は多くの場合、卸売を行う業者が運営していることが多く、販売までその運営者が行うことがほとんどだ。ただ、今回のさちの場合は僕が全ての肉を販売するので、処理だけを依頼したわけだ。
ここが家畜の係留所だ。すでに搬入されたホルスタインなどが係留されている。
家畜運搬車に入るのをあれだけ嫌がっていたさちが、ここではするすると出てきてくれた。きっと移動で疲れたんだろうな。
しっかりとロープをゆわえて、書類をスターゼンの担当者さんに渡す。これで終了。
さて、お別れだ。
鼻面に手を当てるとあたたかい。牛って本当にあたたかい体温を持つ生き物だ。この体温が10数時間後には無くなる。僕はさちを肉にするのである。その意志決定は僕がした。
「お別れは済みましたか」
うん、と応えて二戸に戻る。ホテルに入ると、グググッと重い疲れが方の上から圧してくるのを感じる。一眠りして起きると、さらに身体が重い。なんなんだこれは。漆原さん、山長の社長さん、杉澤君と食事をするが、アルコールが暴力的に効いて、気持ちよくない。早々に引き上げてベッドに入った。
今日23日、さちは命を失います。僕はありがたくこの子の肉を、残さず有意義にいただこうと思います。もうしばらくお付き合いください。
このWebはいわゆるグルメではありません。味や価格だけではない「よい食事」とは何かを追求するためにひたすら食い倒れる記録です。私の嗜好に合う人しか楽しめないと思いますがあしからず。
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