「お盆」の意味がいまだによくわからない。ピンとこない。それはおそらく我が家がキリスト教のプロテスタントの家庭だったからだろう。魂とかご先祖様の霊がとか、いろいろと思想的宗教的に錯綜しまくり、結果僕には「盆ってなに?」という状態になっている。
まあそれでもこの週末は埼玉のベッドタウンにある実家に顔を出し、ゴロゴロとテレビを観ながら飯を食うという怠惰な一日を過ごした。
母が「何か食べたいものある?」と訊くので、「肉とかいらないから、あっさりしたの」と頼んだら、夜飯は豪勢なちらし寿司となった。
うーむ はりこみ過ぎだ(笑) 昔、ウナギの蒲焼きやイクラなんて乗ってなかったぞ。しかし、錦糸玉子に椎茸を煮含めたやつ、そしてサヤエンドウは必ず載っていた記憶がある。それに、うちの母の寿司は、なんといっても寿司飯に特徴があるのだ。
この写真の、酢飯の部分をみてもらると、ニンジンの細切りにしたやつ、それとみえないけどゴボウの同じく細切りが混ざっている。それだけではなく寿司飯になにやらフレーク状のものが混ざっている。これは魚の鰺(アジ)の身を焼いてほぐしたものを、寿司酢に漬けてなじませたものだ。我が家の酢飯は必ずこのような、寿司飯だけで食べても十分に旨いものだった。煮たニンジンとゴボウはアジと香りと食感を与えてくれ、アジの身はなんといっても強い旨味を酢飯に与える。これに錦糸玉子と甘辛い椎茸の煮たのと、気の利いた刺身を載せればご馳走のできあがりである。
いなり寿司もこのタイプの具が入った酢飯が基本だった。幼い頃これで育ったせいか、いまだに江戸前のちらし寿司やいなり寿司を食べて「旨い」とは思えない。飯しかないじゃん、貧相な寿司だぜ、と思ってしまうのだ。握りに関しては江戸前が一番だけどね、、、
実はこれ、愛媛県の寿司飯の特徴らしい。たしかに、いま直売所で関わっている大洲周辺で食べるちらし寿司やおいなりさんもことごとく具材が詰まっている。
上はちらしで、やはりゴボウとにんじんとかまぼこが入っている。下は農家の直売所で買ったおいなりさん。
油揚げを煮含める味はあくまで薄味。具にしっかり味がする。
おうどん屋さんで出てきた三角形のおいなりも。
底面にみえるのはタケノコの煮たやつだ。これもまた素晴らしい具材になる。
江戸前の、揚げが甘辛くなっていて、飯は酢飯のみというスタイルに馴れた人が食べたら「美味しい!」と思ってくれるだろうか、わからない。けど、僕には断然この愛媛バージョンのほうが旨いと思う。
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