また一つすばらしきメーカーが消えた。富士食品の納豆を懐かしく思う。食べ物が「安いこと」はそんなによいことか?生産者・メーカーが存続できないほどに安いことは、社会の悪ではないだろうか。

2009年4月 2日 from 農村の現実,食材

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ショッキングなニュースが飛び込んできた。北海道の富良野市にある、すばらしき納豆メーカーである富士食品が倒産したというのだ。また一つ、良心的なメーカーが、スーパーなどの購買者と消費者によって潰されてしまった。とても残念だ。

過去ログ
■2004年07月09日 こんなに旨い納豆があったのか! 富良野編完結 「富士食品」http://www.yamaken.org/mt/kuidaore/archives/2004/07/post_284.html

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富士食品との出会いは、過去ログにもあるように、非常に偶発的なものだった。その後、週アスで連載していた旅三昧の取材で、社長とも仲良くさせていただいたものだ。

北海道産の大豆を使った商品を積極的に出し、あくなき追求心で佳い商品を追っていた納豆メーカーだ。

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納豆バカ一代である会長からは、

「あのね、ツーッと納豆をつまんで引っ張ったときに、伸びた糸に節ができないのがいい納豆だよ」

という名文句をいただいたものである。

富士食品を語る上で欠かせない商品がある。それが「なうぴー」。

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モナカの皮に味を付けた納豆を入れたものだ。

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地元の学校給食で普通に出ていたというこのナウピー、初めて食べたときの衝撃は忘れられない。

他にもいろいろあるのだけど、なっとうちょこには参った。

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これがまた、旨いのである。変な味ではない。最近ではやはり大豆の発酵食品であるテンペをお菓子風にしているのをよくみかけるが、そんな感じ。

とにかく納豆を美味しく、ということに意欲を燃やしたメーカーであった。

その富士食品が、倒産してしまったという。周辺の人たちに連絡をして話を聞いた。結局、納豆や豆腐、こんにゃくなどのいわゆる「和日配」は本当に大変な状況なのだ。

日配(にっぱい)というように、毎日食卓に上るような食材であり、鮮度が要求される商品は、消費者が価格に非常に敏感だ。特売で一円でも安いスーパーに客が殺到するのは見慣れた光景だ。だから、スーパーや飲食店、給食などもとにかく価格を安くするということに腐心する。

農産物と同じで、日配商品もまた、その価格決定を支配するのは買う側だ。スーパーのバイヤーが「うーん、やっぱこの商品は128円でしょ」という風に、どれだけのコストがかかっているかとは関係なく決めてしまうことも多い。

そんなの断ればいい、と言うかもしれないが、断れるものなら断っているところだ。日配商品は薄利多売の世界だから、売場を持っている取引先を断ることが難しい。豆腐業界の社長さんの話では、工場のライン単位で取引先が決まっている場合、取引停止になると明日から赤字になる。だから、なんとしても食い下がるしかない。取引先も巧妙で、「活かさず死なさず」という絶妙なラインで手綱を握ってくるという。

それに輪をかけているのがこの不況だ。もはや、「よい大豆を使って、安心できる納豆を」ということは価値として認められない。とにかく4個パック98円以下でなければ売れない、というようなぎりぎりの値下げを強要されるのである。

「だったらいいよ、安い材料仕入れて、保存料とか駆使して、安く造るからね」

という割り切りをできるメーカーであれば、よかったかもしれない。けれどもまじめなメーカーは、割り切ることができずこだわりを通そうとして、倒れてしまうことになるのだ。ちなみに北海道ですでに5軒の納豆メーカーが倒れているという。

こうした状況を造りだしているのは、第一に安いモノばかり買う消費者、第二に食品価格を叩く小売や外食などの販売業者、そして第三に消費者におもねるマスコミである。

中でもマスコミがたちが悪い。新聞やテレビなどのメディアで食の問題を報道する際に、無意識的に「消費者が弱者である」というようなメッセージを流しているからだ。この消費者中心の社会では、本当の弱者はメーカーや流通業者だと僕は思う。それなのに、不景気になると彼らは「消費者のために、食品は安くあるべき」という間違ったメッセージを造りだしている。そして富士食品のような佳いメーカーが潰れる。青果物を流通する市場の卸売業者の営業利益率も、なんと平均0.5%程度だという。そんな薄利でよくやっていられるものだと思うし、異常なことだと思う。

不景気のもとでは、消費者も苦しいけれども、ものをつくるひと、運ぶひと、売るひとも一様に苦しいのである。消費者を立たせれば、生産者・メーカーが潰れる。それが続けば、どうしたって佳いものは造られなくなる。

「でも、現実的に食品が高くなるのは困る」

という人も多いだろう。なぜかこの国の消費者は、節約というと真っ先に食費を削ろうとする。携帯電話には一万円近く支払っているのに、毎日口にする豆腐や納豆、調味料には10円の差を大きく感じる。本当に不思議な話だ。毎日食べるということは、その食品が身体をダイレクトに構成している、根本的な要素になっているということだ。そんな大事なものに投資をせず、10円単位の差額をケチって、レベルの劣る食品を選択する。値段には意味がある。安いモノには安い意味があると僕は思う。安くするために払う犠牲は、多くの場合は身体に影響を及ぼすものだ。

「そんなこといっても、所得の低いひとはどうすればいい?」

ということをよく訊かれる(そういう質問をしてくる人自身は、所得が低いわけではないことが多いのが、非常に苛立つのだが)。でも、ご存じだろうか、この国ではエンゲル係数はもうながいこと25%以上になっていない。お金の使い道は、おもに食べ物以外に振り向けられているのだ。エンゲル係数40%以上になってしまっている人であれば「困る」と言うのは当然だろうが、そうでもないのに「値上げが困る」というのはオカシイは梨ではないか。消費者のエンゲル係数よりも、いまはメーカーや生産者の利益率の方が低い状況なのだから。

納豆が3個一パックで98円程度の普及価格帯のものがあるとする。一方で、国産の大豆を使用した納豆が50円増しの148円で売っているとしよう。だれもが「50円なんて高い!」と言うかも知れないが、、、3人家族がウィークデーの朝食に納豆を食べるとして、50円×25日程度=1250円である。たったの、と言ってはいけないけれども、1250円の差額にしかならない。スターバックスのコーヒーが300円前後。それを4回節約すれば佳い納豆を求めることができる。

消費者の選択は消費者自身が決めるべきことだ。でも、その選択によっては、佳いものが産み出される構造を壊してしまうこともある。それを消費者は、自覚すべきだと思う。

 

さて富士食品がなくなってしまったのはとても残念だけれども、でも当事者の皆さんは、いつか再起をと思っているらしい。ぜひ、何らかの形で再起して欲しいと心から願う。会長、社長、ぜひ頑張って下さい。何かできることがあれば、やります。