2007年6月26日 from 日常つれづれ
先日、TBSラジオの「アクセス」にて、ミートホープ事件について話して欲しいという依頼があった。
僕は、「ミートホープの責任問題を追及する立場は、色んなところで出てきているので、僕が話す必要はないと思う。逆に、ミートホープのような企業が出てしまった背景や構造をきちんと見つめ直そう、という趣旨の話をしていいならば、出ますよ」とお話しした。
まず最初に、ミートホープが豚肉を牛肉に混ぜたり、といった一連の行為は明らかに犯罪であり、罰せられなければならない。これは明確なことである。
ただ、こうした食品関連の偽装・虚偽行為を最終的に無くしたい、と人々が考えるのであれば、そろそろ当該企業の糾弾や、管理の仕組みや法整備以外にも目を向けるべき時期なのではないか、と思う。
2000年以降、雪印や無登録農薬問題、そして最近ではイチゴの農薬残留問題等、凄まじい数の違反事例が出てきているが、いっこうに無くならないのはなぜか。なぜ、人は過ちを犯し続けるのか。
それは、”過ちを生まなければ生きていけない構造”が出来上がっているからではないだろうか。
ミートホープ社の社長が記者会見で「安値を求めてきた消費者にも責任がある」という旨の発言をして、新聞各紙から「消費者に責任をなすりつけた」と糾弾されているが、実は食品製造に携わる人々は、ミートホープの所行を嫌悪しながらも、その発言には「その通りだと思う」と感じる人が多いのではないか。僕も、僕を含む消費者にも責任の一端があると思う。ミートホープ社の社長という、一番の当事者が発言してしまったから「けしからん」とされてしまったが、これは客観的に観るべき問題だと思うのだ。
現在、食品加工業者がきちんとした素材を扱って利益が出るような市場構造になっているかというと、ちょっと怪しい。スーパーなどの小売事業者は、店舗拡大競争を依然として繰り広げているため、いまだに「安値」を消費者に対する最大の価値と見なしているようにみえる。
そうなると、スーパーなどがメーカや卸から加工食品(生鮮も)を仕入れるとき、当然価格を下げてくれという要望を出すはずだ。実際に漬物や肉加工品に対して、一部の高級スーパーや百貨店以外はギリギリの利益率での商売をしているところが多いときく。
いまは消費者主権の世の中なので、その消費者に直接販売しているスーパーが流通の中で大きな力を持っている。メーカーがある商品を切らしてしまった場合、スーパーは売り場に開いた穴の分を、メーカに補償しろということがある。売れるはずだったんだから、お前が払えということだ。
そんなこんなでメーカがきちんとした利益を確保することはなかなかに厳しいご時世となっている。その中で、ミートホープのような行為に手を染めざるを得ない企業が出てきているというのが、一つの「構造」なのではないだろうか、と思うのだ。
こういうことを書いたり言ったりすると、
「じゃあ、やまけんはミートホープや不正を働く企業を正当化するのか?」
と言われることが多い。事実、先のラジオ番組でも女性アナウンサーが感情的な声で「でも、牛肉入りって書いてあるコロッケの中身が違ってるんですよ!?そんなことが許されるんですか?」と割り込んできた。
そんなこと、言ってないでしょ!
最初に述べたように犯罪行為は罰せられることであり、それを正当化するつもりなんてさらさらない。事実、法律の枠内で真面目に商売している業者のほうが圧倒的に多いのだから。
僕が言いたいのは、「構造」を変えない限り、同じように不正をはたらく企業や人は出続けるだろうということだ。だって、儲からないんだもん。一言で言えば、日本の食べ物は安すぎるのではないか?ということだ。これを言うと「庶民の敵」とレッテルを貼られそうだが、まず僕自身も庶民である。そして、誰もが忘れているだろうが、メーカや流通業者も庶民なのである。
庶民が望むのは、自分の働きに応じた報酬を得ることが出来て、それを使って自立した生活を営むことだろう。では、自立するに足る報酬を得ることが出来なかった場合、、、その人はいかなる行為に走るだろうか?不正行為や犯罪行為に手を染めざるを得ない人が出てくるのは、一つの循環になってしまうのではないだろうか。
僕は「食品を高く買え」と言っているわけではない。
僕が言いたいのはこういうことだ。
「現在の食品価格は食品製造業者が不正を働く必要を感じない価格レベルとは大きく乖離している」
僕だって庶民だから、食品の価格がこれ以上上昇するのはイヤだ。
しかし、食品製造、流通に関わる人たちが不正をはたらかざるを得ないような価格帯になってしまっているのであれば、自分の安全を守るためにも、投資として食品購入にもっとお金を払ってもいいと思う。
第一、今の世の中は消費者が価値の中心となっているようにみえる。
本当は、消費者も、生産者も、メーカも、流通業者も、すべて対等の立場であるべきではないか?
イタリアのシチリア島に行ったとき、昼になるとほとんどの店が鍵をかけて休業状態になった。日曜日にも店が閉まってしまい、不便きわまりなかった。日本とあまりに違うサービスレベルに茫然としながらも、僕は一種爽快感を覚えていた。
この国では、商売をする側が、自分に都合のよいようにやっている。消費者は不便だけど、商売している人たちは満足しているわけだ。不便と満足を相反するエネルギーだと考えると、エネルギー不変の法則のように、均衡が保たれているように見える。そして日本という国は、消費者が満足する方向に大きくエネルギーがかかり、サービス提供者側は枯渇している。
もうすこし、消費者側にかしぎすぎている社会の傾きを是正する必要があるのではないだろうか。
その一歩として、食品の正当の価格を考えてみるというのは、案外有効なのではないかと思っている。一番身近でわかりやすいから。
消費者はお金を払って商品を買う立場だ。「お金を払う」という、現世において最も重要度の高い行為をする側だから、パワーを持っているというのは当然だ。でも、その支払っているお金の額が妥当なものかどうか、ということを考えないと、社会を歪ませる側に荷担することになってしまうのではないだろうか。
それを考えることが、「消費者の責任」としてあるのではないかと思うのだ。
ちょうど、徳江さんもミートホープについて書いている。専門家の立場からの視点を読んでおくといいと思う。参考までに。
このWebはいわゆるグルメではありません。味や価格だけではない「よい食事」とは何かを追求するためにひたすら食い倒れる記録です。私の嗜好に合う人しか楽しめないと思いますがあしからず。
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