2006年12月14日 from 農村の現実
熱は相変わらず下がらない。うーん、、、視界がボヤッとするのが非常につらい。
でも少しだけ鼻が通るようになったので、夕食のおかずの香りがきちんと味わえた!これだけでもかなり前進。昨日のおかずは白菜と豚肉の重ね蒸し、これをポン酢で食べるのだけども、あまりに白菜が旨いので何もつけずに何口も食べてしまった! 当然だ、白菜は今年、最適な栽培条件の中でたっぷりの太陽光を浴びて育ったのだから、、、
白菜は今年、買いなのだ。
さて
実は2週間ほど前、いきなりあるラジオ局の番組から電話があり、インタビューを録音することになった。テーマは「大根や白菜を産地で廃棄しているっていうけれど、どうなの?」ということだ。アナウンサーの男性に繋がると、こんな感じのやりとりになった。
「いやねぇ、白菜も大根も美味しいじゃありませんか。なんで廃棄なんてしちゃうんだろう?」
(山)「そうですねもったいないですが、出荷される量に比して買われる量が少ない場合には、市場原理で価格が下がってしまうんですよ。今年後半は天候がかなり理想的に推移したので、収穫量が増加してしまったんですね。しかも暖冬気味(当時)なので、鍋物需要が動かないのか、売れないんですよ。そうなると、産地としては出荷しても赤字になるだけなので、収穫を手控えるんです。」
「うーん わかりますけどねぇ。 でも食べ物ですよぉ。 生産者はなんとも思わないんですか!?」
あ、来た! こういう質問をしてくる人たちの常套手段だ。生産者に責任や悪役を押しつけようとしている。申し訳ないがこういう手合いには荷担できないのだ。
(山)「いや、悔しいに決まってるでしょ。あのですね。生産者さんがいちばん困ってるし悲しいんですよ。自分が生産したものが販売できないんだから。でもね、いま出荷しても、市場までの運賃や箱代にもならないんですよ。出荷するだけ損をするんです。生産者を責めるのはおかしいですよ。」
「うーん そうですか、、、 でもね、漬物にするとかできないの? 白菜の漬け物、美味しいでしょ?」
(山)「産地では大量に白菜が出来ているわけですから、個人的に漬物にするくらいじゃ無くなりませんね。漬物業者はいま、フル稼働で生産していると思いますよ。けど、生の白菜が売れていないのに、白菜の漬物が売れるってこと、ありますかね?問題解決にはならないんですよ、、、」
「それとか、困ってる人にあげるとか、、、」
うわーーーーー 出た!
究極のキーワードである。
(山)「ええとですね、困っている人に届けるという役目を誰がやってくれるのか、ということが問題になりますね。段ボールに詰めて出荷するだけでも赤字になるというのがいまの状態です。で、困っている人にあげるというコストを、産地にもてというのでしょうか。難しいと思いますよ。」
「うーん じゃあどうすればいいんでしょうか?」
そして僕は、彼や番組制作者さんがおそらく予想していなかった、そしてあまり望ましくない答えを述べるのだった。想像通り、「なるほどぉ!それは名案ですね!」とは言われなかった。
そして先日、ある大学で農業の今後に関する講演をしたときのことだ。ある男子学生が僕のところに来て、義憤に満ちた顔で、さきのアナウンサーのような質問をしてくれた。
「困っている人にあげるとか、どこかに送るとかできないんですか?」
(山)「それにかかる予算を誰がお金出したらいいと思う?」
「うーん、、、国とか、、、」
彼にも僕はある答えを述べた。 「うーーーん」 といいながら彼は頷いて帰って行った。
ちなみに彼は真摯な態度。さすが加藤先生の大学の生徒であると思った。
さて
そうしてさきほどある新聞社から、同様の質問が来たのである。熱があって上手くはなせないので明日以降にしてくださいと連絡したのであった。
さて
産地で大量に野菜が廃棄されているというニュースを見ている人は多いだろう。トラクターなどで潰される野菜の映像をみて、胸の内で「食べ物が廃棄されるなんてもったいない」と思う、これは至極当然のことだ。僕も悲しくなる。
しかし問題は、その悲しみが、あらぬ方向へ怒りとなって向くことが多いことだ。そして、生産している側に矛先が向くことが非常に多い。
「農家はいったいなにをしているんだ!」
そして先ほどのやりとりのような話になるのだ。
しかし、農家の立場は先に書いたとおりだ。彼らが一番苦しいのだから、そうやって責めることは全くなんにもポジティブな結果を生まない。
ちなみに農家がなぜ廃棄しているかというと、農水省が定める重要野菜緊急需給調整事業における処理だ。ごくごく簡単に省略して説明するが、国として定めた野菜の重要品目というのがある。国民生活上、この野菜が一気になくなったらマズイだろう、という品目群で、とうぜん大根とキャベツも入っている。
この法律では、その重要野菜の需給が逼迫、つまり不作で市場である程度以上の高値をつけるほどになった場合(数年前にキャベツが異常な高値になった、ああいう場合)には、事業に参加する農家に補助金で補填をするので、安く市場に放出するようにということになる。
そして今年はその逆だ。農家が、まったく生活できないほどのダメージになるくらいの安値が市場でついてしまった場合、廃棄処分をすることで需給を調整し、農家には補填金が交付されるというものだ。ただしその交付金で食っていけるというレベルの高額なものではない。農水省のWebなどに事業の内容があるので、関心のある人は読んでみるといいだろう。
農家の仕事では、毎月定収入が入ってくるということはありえない。
米の生産なんざ、一年に一回しか収穫できないわけだから、収入のタイミングも一年一回なのだ。それではあまりに大変だから、農協という組織が前渡し金というのを払い、米を収穫・販売したときにそこから差し引くという制度ができているのだ。
キャベツや大根が、今年のように豊作になりすぎると、一作分を放棄することになる。最近の産地は巨大化しているから、その年キャベツがダメならもう後半の収入はほぼ無しという人だっているかも知れない。そうした人たちが泣く泣く潰すのがあの光景なのだ。それを理解して欲しい。
残念ながら現在の科学では、今年が不作になるか豊作になるかということを予測することは不可能だ。半年先の天気予報がビシッと当たるようになればこんなことは回避できることになるだろう。だから産地廃棄をイヤだと思う人は素晴らしい気象予報士になってください。
で、 消費者ができる、産地廃棄をなくすための方法が、一つある。 それは誰にでも可能なことだ。
それは、、、
白菜や大根等、豊作になっているものを、いつもなら一つ買うところを2つ買うこと。
だ。
ずっこけた人もいるだろうが、、、
そもそも 野菜の価格は需給のバランスによって決まる。買う人がいないからこのようなことになっているのだ。だから、今年は積極的に白菜と大根を食べまくって欲しい。実はそれが最良の方法なのだ。
でもきっとこういわれるだろう。
「一人(または二人)暮らしなのに大根2本、白菜2個なんて食べきれない!」
「料理をする暇なんか無い!」
「余らせて腐らせちゃう、、、」
と仰るなら、産地廃棄という行為を憎む矛先を、自分にも向ける必要があるのではないだろうか。
食べきれなくても買うことによって支えられるものがあるのだ。
家で腐ってしまった白菜は、でも産地で腐るよりも尊い。生産者にいくばくかのお金が渡るからだ。
そして、「白菜一個売れた」という実績が、スーパーなどのPOSデータに残る。
10万人の消費者が、いつもより余計に白菜を1つ多く買えば、10万個の白菜消費になり、絶望していた市場が活性化する可能性がある。
また、「料理をしないから」というのが実に難しい問題だ。
実は白菜や大根が売れ残るのは豊作だからというだけではない。料理をする家庭が減り、大根一本、白菜一個という単位で買い求める家庭が無くなってきているからということが大きいのだ。今、東京圏で白菜を丸ごと売っているスーパーは少ない。半分もいい方で、1/4カット、悪くすると1/8カットが主流だろう。
最近の主婦は「食材が余るともったいない」という感覚が強くなってきているそうだ。僕からすれば、余ったら翌日のおかずに回すか、白菜なら塩をふって浅漬けにすればいいじゃん、と思うのだが、そう言うことを実行する人はあまりいないらしい。
ということで丸ごとの野菜が売れていないのだ。外食・中食を自分の食の中心にしていると、どんなに野菜メニューを中心にとっても、野菜を食べる量は知れている。野菜をたっぷり食べる、と言う行為は、究極的には家庭でしか為し得ないことだと僕は思う。
料理といったって、この時期には「鍋」という方法がある。白菜と大根と豚肉だけで鍋は成立するではないか。
それに白菜や大根を漬物にするのは死ぬほど簡単だ。でかいボウルか綺麗なバケツに、重量の3%の塩をふった白菜・大根を入れて、上に重しを載せておいておくだけだ。日の当たらないベランダに置いておけば温度もちょうどいい。
、、、と一気に書いていて疲れてしまったのでこの辺にするが、とにかく産地廃棄をよくないと思う人がいたら、その品目を少しでも多く食べて欲しい。根本的にはそれ以外の方法はない、と僕は思っています。
日本の農業生産者は凄まじい勢いで減少しつつある。儲からないんだから当然だ。このままいくとおそらく10年後、国産農産物というものがすごい高嶺の花になり、他国の野菜や穀物ばかり並んだスーパーばかりになる。たしか日本人は、BSE騒動や鳥インフルエンザ騒動の時に「食の安全を!」と叫んだはずだ。
あれは幻だったんだろうか? そうでないと思いたい。
このWebはいわゆるグルメではありません。味や価格だけではない「よい食事」とは何かを追求するためにひたすら食い倒れる記録です。私の嗜好に合う人しか楽しめないと思いますがあしからず。
本サイトの著作権はやまけんが保持します。出版物・放送等に掲載される場合はご連絡を下さい。トラックバックはご自由に。