2005年1月 4日 from
風邪が治らない。喉の奥が反対側にくっついてしまっていると錯覚するほどの腫れが治まったと思ったら、間断なく咳が出る。眠りにつこうとしても30秒ごとに咳が出るので眠れない。咳は横隔膜を激しく蠕動させるので消耗する。もう大変な状態である。
実は今もそうだ。おとなしく寝ていろと言われても、眠れないのだ。blogでも書いて気を紛らわすしかない。ああ辛いつらい。
一年に一度はこのように悲惨な熱が発せられ、それまで貯めてきた毒素がどかーんと爆発的に表層に浮かび出てくるのが常なのだけれど、それにしても酷かった。それもこれも、熱に浮かされながら廻ってしまった忘年会のせいだろう。
28日は、タイ・バンコクで世話になったつっちー、セコちゃん、アラゴンが日本に帰ってきていたので匠で寿司。ちょうど沖縄から川端パパも上京していたので、タクと一緒に父子で来ていた。その後6人でオーパ。皆喜んでいたけど、もうそこですでに喉が腫れだしていた。
29日、広尾のとある店にて某氏と会食。これはあとで独立したエントリとして書きます。
30日、阿佐ヶ谷バードランドにて、バードランド関係の人たちが忘年会。北千住バードコートの野島さんが誘って下さったので僕も参戦。阿佐ヶ谷店は実に綺麗なカウンターの店内だった。
葱商の安藤ちゃんも来ていて、野島・安藤・やまけんで呑ませて頂く。
ほどなく、バードランドの大将であらせられる和田さんの「学校」が始まる。焼き台の前に立ち、様々な形状のシャモを焼き始めた。
さっとリングサイドに集まる弟子達。真剣なまなざしで師匠の手を見つめる、、、
和田さんが焼いて下さった鶏と、他の人が焼いたものでは明らかに違う!串に刺した肉を焼くということだけでなぜこれだけの違いがでるのか、それは本当に単純な調理法だけに、ミリ秒単位での理解と判断、そして実行の技術が必要になるのだと実感してしまった。
もも肉の塊を焼いた時は、「強く焼いたことによりギュッと中央に集まった肉汁を、一旦火から遠ざけて、肉汁を全体に戻すんです。そうすると、皮はパリっとしたまま、肉を噛むとジュワッと肉汁が染み出て、最高に旨いんですよぉ、、、」と野島さんが解説して下さる。単に強火で焼くだけでは、ギュッとした食感にはなるが旨くはならない。なんと緻密な想いが一串の中に込められているのか、と感動してしまった。
その和田さんが「このワインがねぇ旨いんだよ!」とイチオシしていたのが、クスダさんという日本人がニュージーランドで醸しているこのワインだ。
2002年ものとは思えない、あまりにも美しいブーケだった!「あと2年したらどうなってるか、楽しみでしょ?」という和田さんは、僕の数十倍の食いしん坊だとシャッポを脱いだ瞬間だった。
日本酒も、すごいのがポンポンと抜かれる。
ショウちゃんが瓶燗にして注いでくれたのは、なんと神亀の平成2年に仕込まれた純米だ。14年ものか、、、琥珀色に熟成されたその酒は、まったくひねておらず、熟成香が渋く立つ素晴らしい酒だった。
呑んで食って、野島さんと和田さんに御礼を伝えて店を出る。安藤ちゃんを連れて、その足でトルコ料理イズミルに向かった。あらかじめ電話をしていないし、もう遅いので顔だけ出して、挨拶するつもりだったのだ。
でも、店に入ってエリスとスレイマンに挨拶したら、顔見せるだけじゃ済まなくなってしまった。
「ヤマケンさん!私たち、貴方に御礼をしたい!」
トルコの名物蒸留酒”ラク”で日本では高価はテキルダーを一本持ってきてくれて、スレイマンが次から次へと料理を出してくれる。
「あなたがインターネットに書いてから、それを観た人たちが一杯!大阪から来てくれたグループも居るし、みんな美味しいと言ってくれる!本当に感謝していいます!」
よかった、、、
このWebをやっていて本当に良かったと思う瞬間だ。
先日おうさるさんと来た時には食べなかったピザのような一皿まででて、これがまたすごく旨かった!
まだまだ奥が深いな、トルコ料理!今年もおうさるさんに色々教えてもらおう。
たらふく食べて、二人と握手をして、店を出る。家に帰るともう日付を超えていた。この段階で、喉はふさがり状態。そして大晦日へとなだれ込んでいったのだ、、、
このWebはいわゆるグルメではありません。味や価格だけではない「よい食事」とは何かを追求するためにひたすら食い倒れる記録です。私の嗜好に合う人しか楽しめないと思いますがあしからず。
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