2004年7月23日 from 出張
今年二回目の秋田出張である。二週間ほど前に、「これから秋田です」と宣言したにもかかわらず、秋田特集が出ていないことに不審な思いを持っている人も多いだろう。
なぜだと思う?
食い倒ラーはおわかりであろう。残念ながらあまり旨いものに出会えなかったのダ。なので今回はその雪辱に来たのだが、それよりも今回は重要な視察があった。
仕事として請け負っている調査で、太田町という米どころの特別栽培米の販売に向けたお手伝いをしている。その田圃を観に来たのだ。ご存じの通り、今年は新潟、そして福井で相次いで凄まじい規模の災害が起こっている。新潟では、農産物と農機具をあわせて60億円以上の損害と言われている。恐ろしいことだ。農業が背負っているリスクは果てしなく重い。そしてそれに見合う価格は保証されていない。 ま、その辺の話は姉妹blogの方でやろうと思うが、とにかく連続して起こる災害ネタで「秋田もやばいんじゃ、、、」とびびっていた。しかし、秋田空港に着くと、灼熱地獄の東京とは一変してかなり涼やか、周りに拡がる田圃は美しく、青空が拡がっていたのであった。
「山本さん、今日は、現場を観に行きたいと思うんです。」
秋田県のNさんが車を運転しながら仰る。いつもは打ち合わせに終始してしまいがちなので、現場を観る時間を創ってくれたのだ。秋田空港から車で1時間程度のところに太田町はある。
しかしなんと、面白いハプニングが。近道をしようとしてNさんが路を間違え、どんどんと田舎道の方にさまよってしまう。
「あれっこんな道じゃなかったはずだけど、、、あ!間違えて大内町まで来てしまった!」
大内町というのは、まったく違う方面にある、これも米が有名な産地である。そして、最近僕が食べているミルキークイーンを生産している伊藤裕樹君、あだ名「ひろっきー」の田圃がある町ではないか!彼は日頃は東京で経営コンサルタントをし、数日間秋田に戻ってくるというライフスタイルなので、この日は秋田にはいない。けれどもこれはぜひ報告しなければ、と思い、お茶を買ったたばこ屋からメールをする。するとすぐに電話がかかってきた。
「やまけん、そのたばこ屋からたった2kmで僕の田圃があるんだよ!わっはっは!」
訊けばなんと明日朝一便(つまり本日だ)に秋田に来るというので、僕が帰る便と合わせ、空港でお茶をすることにした。いや本当にこういう巡り合わせには笑ってしまう。
嬉しいハプニングの後、気を取り直したN氏が車をぶっ飛ばして太田町に向かう。周りは田園風景が拡がっている。まぶしい緑が美しい。途中、太田町の農協に寄り、田圃を案内してくださる職員のTさんとお会いする。車を乗り換え田圃に向かう。5分足らずで、標高差100m、山際にある田園の集落に着いた。そこは、綺麗な綺麗な、稲の国であった。
今回の僕の仕事の対象品目は、特別栽培米という。特別栽培とは、いわゆる「減農薬」や「減化学肥料」もしくは「無農薬」「無化学肥料」などを言う。先般、農水ガイドラインの変更があり、これらを総称して「特別栽培」と言うことにしたのである。消費者にはまたわかりにくくなるだろうなぁ。
太田町の米は、県を代表する銘柄「あきたこまち」が主流だが、これを減農薬・減化学肥料でやっていくということだ。常々言っているように、化学肥料を有機肥料に変えることで、食味が向上するというのが僕の実感だ。太田町では、米ぬかを主原料とした「米の精」という有機質肥料をメインに使おうとしている。下の写真は、米の精を使って3年目を迎えた実験圃場だ。
「ちょっと葉の色が濃いですね、、、窒素過多になってるんですかね?」
「ええ、この栽培方法では、この時期若干葉色が濃くなって大丈夫です。分けつ数が少ないのですが、幹が太くなり、穂の重量は増加します。」
という会話をしつつ圃場を巡る。
日頃、東京駅から15分の場所に住んでいるせいか、やはり産地に行って田畑に出ると、ホッとする。そこには本当に癒しの空間が拡がっているからだ。(農薬散布の季節にはホッとできないのだが、、、)
流れる空気、マイナスイオンの波、鳥の声と川の流れる音、微細に振動する空間があるのだ。
ということで秋田編第一発目はメシの食い倒れではなく風景を食い倒れたのであった。この後、昼飯を食べたのだが、その店自慢という10割手打ち蕎麦と稲庭うどんは、まったくもって大したことの無い内容だったので書かない。
そして怒濤の夜、「夏なのに比内地鶏のきりたんぽ鍋」編へと進むのであった、、、
このWebはいわゆるグルメではありません。味や価格だけではない「よい食事」とは何かを追求するためにひたすら食い倒れる記録です。私の嗜好に合う人しか楽しめないと思いますがあしからず。
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