2004年7月 1日 from 出張
いや、びっくりした。浅薄であった。富良野というところは、ドラマのロケ地になっているだけの上っ面ばかりな場所かと思っていた。謹んで取り消そう。富良野には素晴らしき食の守人達が居る。
帯広で白樺の生ラムジンギスカンを7人前食べて腹が落ち着いた(?)ところでアグリウェザー社ご一行とお別れし、レンタカーで一路、富良野へと向かう。
そもそもこの出張は、富良野にカレーを食べに行くというところから始まったのだ。覚えているだろうか、「唯我独尊」のカレールーのエントリを。ある日、仕事関係で訪れてくれた某社のD黒さんが、「山本さん、カレーがお好きなら、富良野の「唯我独尊」が一番ですよ」と初対面の僕に言うのだ。その名前は知っていた。僕の人生最高といえる蕎麦と、素晴らしい夕張キングメロンを生産する、農家として僕が信頼する岩崎さんの奥さんが、札幌の大丸で開催されていた物産展で唯我独尊のカレールーを見つけて、僕に強烈に勧めてくれたのだ。しかし、僕はその時カレー腹になっていなかったので、「ふうん」と思って通り過ぎた。そのエピソードを伝えると、なんとD黒さんは、数時間後にカレールーを持ってきてくれたのだ!
「銀座に、富良野市のアンテナショップ『富良野彩館』があります。そこで買えるんですよ!食べていただきたくて、持ってきました。」
その日の夜に早速カレーを作り、いたく感心したのであった。素晴らしく旨いのだ。非常に複雑な香りと旨味。固形ルーでここまでやるか!という味だった。虚飾を廃したパッケージ(というかラップフィルムで包んでいるだけ)がまたよい。
その際に、D黒さんと「ぜひ、富良野に行こう!」ということになったのだ。なぜかというと、D黒さんは、この唯我独尊というカレー屋にかれこれ20年前から深く関わっているという。名物マスターともずっと家族ぐるみの付き合いだそうだ。
「ぜひ、山本さんを紹介したい!」
「俺もぜひ食いに行きたいですよ!ルーでこんなに旨いなら、そこが作るカレーを直に食べてみたい!」
ということで、スケジュールを取り始めたのだ。無論、遊びだけで行くわけにはいかない。帯広の出張と兼ね合わせて、日程を捻出した。ようやくカレーにありつけるわけだ。
帯広から富良野へは、鉄道で行くよりも車の方が効率的かもしれない。予定していた時間よりも早く出たので、景色を楽しみながら揺られて2時間半程度の旅路だ。北海道といえば札幌・夕張・帯広しかしらない僕には初めての風景が拡がっている。美瑛の丘も綺麗だったが、富良野に入ってからのなだらかな丘陵風景は、初めてなのにノスタルジックになれる景観だった。
「僕が学生時代、まだそれほど富良野がメジャーでなかった頃に北海道を旅行したんです。まだこんなに道路も整備されてなかったので、レンタル自転車での移動は大変でした。唯我独尊はその頃から知る人ぞ知る店で、僕はバイトさせていただいたんです。その時から、マスターの宮田さんの強烈なパワーと人柄に魅せられて、気づいたら20年経っていたんですよ。」
まだ僕はその宮田マスターにお会いしていないから実感がわかないのだが、どうやら凄まじいパワーを持つ人らしいのだ。
「地元でも非常に有名人で、実はしばらく前に市議になりました。なので今は市議会の仕事をしながらカレー屋もやっているので、若いスタッフを育成するほうで頑張っています。カレーの唯我独尊だけではなく、もう一店舗、地ビール館というのもやっていて、ビール醸造をしているんですよ。だから凄まじく忙しくしているんです。」
有名カレー店に地ビール醸造&販売、そして市議。凄まじいバイタリティである。こういうのは話を訊いていてもよくわからないもので、実物にお会いすると一気に「おおお この人かぁ」と得心に至るものだ。もうすぐ会える。
富良野市街に入り、商店街の一角にいきなり、ボロボロの小屋のように見せた戦略的空間があった。
「ここが唯我独尊ですよ!マスターは夜にならないと来られないと言っていましたが、先にカレーを食べていましょう。」
車を降り、入り口に至るまでの間にすでにタダモノではない感が漂っている。扉を開け、中に入ると、フランクな格好の若いスタッフに混じって、口ひげを蓄えた壮年のかっこいいオヤジが居た。
「おおお D黒ちゃん、早いじゃないのぉ!」
「マスター、もういらっしゃっていたんですか!」
その人が、強烈無比なパワーを内包する宮田さんだったのだ。
(続く 秋田からの帰り便内で書きます)
このWebはいわゆるグルメではありません。味や価格だけではない「よい食事」とは何かを追求するためにひたすら食い倒れる記録です。私の嗜好に合う人しか楽しめないと思いますがあしからず。
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